ナビトモのメンバーズプロフィール

COSMOS さんのプロフィール

2024/04/28 黒部
COSMOSさん おはようございます。「桃の花」に拍手をありがとうございます。この時期の福島はあたり一面桃色の海とでもいうのか、圧巻でした♪

2024/04/28 四つ葉
沢山の天神さまと可愛いりんごの花‥♪に拍手ありがとうございます。余りにも天神様が多く飾られて驚きでした。りんごの花可憐で可愛いかったです。

2024/04/27 四つ葉
庭を見ながらシニア女性の方と話しをと染飯(そめいい)のおにぎり♪に拍手ありがとうございます。我が家の庭を見て立ち止まってみてくれた女性と話しが出来て嬉しかったです。

2024/04/26 湯好屋三助其の2
笑ってるパンジー写真に拍手有難う御座います。

ギャラリー作品一覧

2191件〜2200件を表示 (4451件)

    No 2191
    作品名 一橋御門跡(5景)
    説明 江戸城の一橋御門跡です。
    桝形の門があった所で今は一ッ橋門の遺構である石垣だけが残されています。
    石垣の下は日本橋川で、元は外壕だったところです。
    すぐ近くには徳川御三家の一つ、一橋家の屋敷が一ッ橋門内にあったそうです。
    今は説明板だけが立っています。
    一橋御門跡(5景)
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    No 2192
    作品名 常盤橋門跡(4景)
    説明 江戸城外郭の正門常盤橋門跡です。
    この門は奥州道へと通じており、田安門・神田橋門・半蔵門・外桜田門などと共に江戸城と街道を結ぶ要衝として「江戸五口」に数えられます。
    将軍家や水戸徳川家も利用する重要な門でした。
    今は石垣が現存し、国の史跡となっていますが整備工事のため5年前から工事をやっています。
    この地域は、日本銀行を始めとする金融・証券・百貨店などの商業地域のため防災船着場もあります。
    常盤橋門跡(4景)
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    No 2193
    作品名 市ヶ谷壕(3景)
    説明 江戸城外濠の市ヶ谷壕です。
    もともとは市ヶ谷門(市ヶ谷見附) のあった所です。
    写真ではわかりませんが橋を挟んで見比べると、隣の濠よりかなり水面が高いのが分かります。
    濠の外側は外堀通りで、この付近の上り坂は東京国際(女子)マラソンの勝負どころとして有名です。
    かつてはここにボート場がありましたが、今は中華料理屋となっています。
    壕の向こうはJR市ヶ谷駅になります。
    市ヶ谷壕(3景)
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    No 2194
    作品名 市ヶ谷門(市ヶ谷見附)跡(5景)
    説明 江戸城の市ヶ谷門(市ヶ谷見附)跡です。
    寛永13年、第2代津山藩主森長継の普請によって造られた枡形門だったそうですが、現在は石垣の一部を残すのみとなっています。
    石垣には烏帽子の形に似ている烏帽子石と呼ばれる巨大な石がありましたが今は日比谷公園に移設されています。
    市谷の由来は幾つかあり物売りの市が立ったので市売りとか、一番目の谷であったのでこの名が付いたなど諸説があるそうです。
    市ヶ谷門(市ヶ谷見附)跡(5景)
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    No 2195
    作品名 新見附壕(6景)
    説明 江戸城外濠の新見附壕です。
    江戸時代には存在しなかった名前の壕です。
    明治中頃、外濠の牛込橋と市ヶ谷橋の中間点を埋め立てて橋が造られ、外濠は二つに仕切られ、下流は牛込濠、上流は新見附濠と呼ばれるようになったそうです。
    お濠の東側は整備の行き渡った遊歩道の外濠公園(土塁)、西側は外堀通りに面した歩道となっています。
    壕と土塁の間にはJR中央線と総武線が通っています。
    新見附壕(6景)
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    No 2196
    作品名 牛込門(牛込見附)跡(4景)
    説明 江戸城の牛込門(牛込見附)跡です。
    寛永16年(1639年)阿波徳島藩蜂須賀忠英によって石垣が建設されました。
    石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され保存されています。(縦に読んでください)
    牛込見附跡は江戸城内郭外郭の城門で2つの門を直角に配置したいわゆる枡形門でしたが、明治35年に撤去されました。
    現在は、わずかに石垣の一部が道路の両側に対の形で残されています。(赤丸)
    牛込門(牛込見附)跡(4景)
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    No 2197
    作品名 弁慶橋(5景)
    説明 江戸城外濠の弁慶壕に架かっている弁慶橋です。
    弁慶壕に架かっているから弁慶橋というそうです。
    江戸時代にはなかったそうで、人々は堀沿いに東に進んで赤坂門を出なければなかったとか。
    橋は明治になって架けられました。
    この地は紀伊和歌山藩徳川家屋敷があったところで橋の傍に石碑が立っています。
    弁慶橋(5景)
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    No 2198
    作品名 弁慶濠(5景)
    説明 江戸城外濠の弁慶壕です。
    喰違見附から赤坂見附まで続いている壕になります。
    諸説ありますがこの外濠を築造したといわれる 「弁慶小右衛門」 の名前から 「弁慶濠」 の名称がついたとか。
    昔の壕の形態を残している壕といわれています。
    夏でも水が緑色に濁らず、そのためか、濠でコイ・ブラックバス・ブルーギル・ライギョなどが釣れるそうです。(ボートでの釣りのみ)
    弁慶濠(5景)
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    No 2199
    作品名 赤坂見附跡(5景)
    説明 江戸城の赤坂見附跡です。
    赤坂見附は江戸城の赤坂方向への出入口だったそうで現在は石垣の一部が残っています。
    この地は紀伊徳川氏の屋敷など徳川御三家ゆかりの屋敷が固める構造ですので守りも固かったのではないでしょうか。
    石垣にある紋は几号水準点です。(明治初期に高低測量を行うために設けた基準となる測量点)
    傍には外濠の弁慶壕があり江戸城外堀跡として国の史跡になっています。
    赤坂見附跡(5景)
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    No 2200
    作品名 真田壕土塁(4景)
    説明 江戸城真田壕にある真田壕土塁です。
    土塁の斜面には松の木が多く、松の甘皮を剥がし、粉にすると食用になるそうで、籠城して兵糧攻めにあった時の代用食や、燃料、建築資材として当時の築城時には松を植えたそうです。
    今は桜の木が植えられ春には花見の名所となります。
    NHKのブラタモリでも放映されて張り出している枝にはテープで目立つようにされています。
    真田壕土塁(4景)
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