ナビトモのメンバーズプロフィール

COSMOS さんのプロフィール

2024/05/01 黒部
COSMOSさん こんばんは。「雪景色」に拍手をありがとうございます。この時期に雪と戯れて来ました(笑)

2024/05/01 四つ葉
同じ環境にありながら眠れる人、眠れない人と食べたくなったオムライス‥♪に拍手ありがとうございます。久しぶりにオムライス食べたくなり作りました。

2024/04/30 湯好屋三助其の2
五月の湿原水彩画に拍手有難う御座います。

2024/04/30 トシアンドレオ
おはようございます。ストロベリーキャンドルに拍手ありがとうございます。夏にヒマワリ畑を作る為の肥料になるようです

ギャラリー作品一覧

2241件〜2250件を表示 (4454件)

    No 2241
    作品名 平川橋
    説明 江戸城大手壕に架かる平川橋で江戸城三の丸の正門の橋でした。
    江戸時代の木橋の姿をそのまま残す橋です。
    今は皇居東御苑に入る平川門前の木橋で警備の方が常駐しています。
    欄干に残る擬宝珠には寛永期の刻印があり元は二重橋に備え付けられていたものだそうです。
    江戸城関係最古の金石文と呼ばれています。
    平川橋
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    No 2242
    作品名 平川門
    説明 江戸城の平川門です。
    江戸城の裏門、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りや 、御三卿の登城口だったそうです。
    名前の由来は地名から。
    平川門は二つの門ともうひとつ小さな門があります。
    不浄門と呼ばれる門で、城中で亡くなった人や罪人を出す際に使用されていました。
    殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は田村邸へお預けとなるために城外へ出されるときにこの門から出されたそうです。
    平川門
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    No 2243
    作品名 本丸広場
    説明 江戸城本丸地区は、江戸城の中心をなし、周囲に石垣と濠をめぐらした高台で、約13万平方メートル(約4万坪)と最も広い場所です。
    芝生の中には午砲台跡があります。
    明治4年から陸軍近衛師団が討つ空砲(ドン)によって正確な時報をしらせたそうです。
    その大砲は小金井市の江戸東京たてもの園にあります。
    江戸城には天守閣のほか、櫓が十棟、多聞十五棟、諸門二十数棟があったそうです。
    本丸広場
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    No 2244
    作品名 天神壕
    説明 江戸城の天神壕です。
    天神濠という名は、太田道灌の菅原道真好きに由来しているとか。
    江戸城の三の丸と二の丸を隔てる濠になります。
    外部から遮断されているため野鳥観察には絶好の濠だそうです。
    ここの石垣には刻印石(築城に関わった大名など関係者による家紋や家印、符丁などの記号が刻まれた石)がありました。
    天神壕
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    No 2245
    作品名 白鳥壕
    説明 江戸城の白鳥壕です。
    江戸城本丸の傍にある壕で南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。
    白鳥濠は、完全に独立した濠で、濠に湛える水は湧き水と雨水のみになっているそうです。
    皇居のお濠といえば白鳥が有名ですが、名前に反してここにはいません。
    写真の石垣の上が本丸跡になります。壕の右手には汐見坂があり、江戸城が築かれた当時、お城の前面が海だったことを偲ばせます。
    白鳥壕
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    No 2246
    作品名 中雀門跡
    説明 江戸城の中雀門跡です。
    先の中之門と一緒に本丸護衛として重要な役割を果たしていたそうです。
    この門は、文久3年(1863)の火災で本丸御殿が焼けた時に類焼し、石垣の表面は、熱によりボロボロになっています。(石垣の組み方が違っています)
    この門を過ぎると広大な本丸御殿が広がっていたそうです。
    今は石垣と礎石だけが残っています。
    中雀門跡
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    No 2247
    作品名 中之門跡
    説明 江戸城の中之門跡です。
    中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(こぐち=曲折して出入りする狭い通路)を作り、本丸護衛として重要な役割を果たしていたそうです。
    中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用されています。
    この中之門石垣には、本丸御殿への登城口として渡櫓門が配置されていたそうです。
    中之門跡
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    No 2248
    作品名 富士見多門
    説明 江戸城の富士見多門です。
    多聞とは,城郭の石垣上に建てられた長屋で,城壁よりも強固な防御施設でした。
    江戸時代の江戸城本丸には,このような多聞が各所に築かれていたそうですが,現存するのはこの富士見多聞だけです。
    平時は武器庫や書物の収蔵庫となっていたそうです。
    以前は中へは入れませんでしたが入れるようになりました。
    靴をビニール袋に入れて袋を持って入ります。
    富士見多門
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    No 2249
    作品名 和田倉壕
    説明 江戸城内濠の和田倉壕です。
    江戸時代には濠の東へも濠が伸びていて現在の東京駅を越えたところで外濠に通じていたそうです。
    この水路により江戸城と隅田川、さらに江戸湾が結ばれていたわけです。
    江戸に入府した家康がまず掘削させたのがこの濠だそうです。
    壕の向こうに見えるのはパレスホテルになります。
    和田倉壕
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    No 2250
    作品名 和田倉橋
    説明 江戸城の和田倉橋です。
    江戸時代の「木橋」の姿が残されているのは、この「和田倉橋」と「平川橋(後日紹介)」のみです。
    和田倉壕に架かりこの先には江戸時代和田倉門がありました。
    この橋より内側は、大手門や桔梗門から入場する大名や武士が通行する橋で、一般人は通ることができませんでした。
    橋は昔のままの姿に復元されたもので橋の欄干に飾られている擬宝珠は、元の橋のものを使用しているそうです。
    和田倉橋
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