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COSMOS さんのプロフィール

2024/05/02 トシアンドレオ
こんばんは、光る飛行機雲に拍手ありがとうございます。スマホのシャッター切ったらこんな写真が撮れました。偶然の産物です(笑)

2024/05/02 四つ葉
今日は茶畑の美しい風景八十八夜と美容院フルコース‥♪に拍手ありがとうございます。八十八夜で新茶が楽しみです。美容院フルコースで時間がかかり疲れました。

2024/05/01 黒部
COSMOSさん こんばんは。「雪景色」に拍手をありがとうございます。この時期に雪と戯れて来ました(笑)

2024/05/01 四つ葉
同じ環境にありながら眠れる人、眠れない人と食べたくなったオムライス‥♪に拍手ありがとうございます。久しぶりにオムライス食べたくなり作りました。

ギャラリー作品一覧

2111件〜2120件を表示 (4455件)

    No 2111
    作品名 幕末の歴史−上野戦争(6景)
    説明 上野戦争は、戊辰戦争の戦闘の1つで上野において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いです。
    江戸城の無血開城が決定した後、上野の寛永寺に籠った彰義隊は新政府軍と激しく戦います。
    午前7時頃に始まった戦いは午後5時には戦闘は終結、彰義隊はほぼ全滅し、彰義隊の残党が会津へと百姓に変装し敗走したといいます。
    幕末の歴史−上野戦争(6景)
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    No 2112
    作品名 幕末の歴史−江戸城無血開城(6景)
    説明 明治維新前夜、慶応四年(明治元年・1868)に幕府の陸軍総裁、勝海舟が当時、人口100万人を超える世界最大規模の都市であった江戸市民を悲惨な戦火から守るため、新政府軍(官軍)の西郷隆盛と薩摩蔵屋敷(現港区田町)で会見し江戸無血開城を取り決め江戸100万人の民を戦禍から救いました。
    幕末の歴史−江戸城無血開城(6景)
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    No 2113
    作品名 幕末の歴史−桜田門外の変(5景)
    説明 アメリカの圧力に屈して日米修好通商条約に調印した幕府は,鎖国攘夷を主張する朝廷,諸雄藩の非難を受けて危機に直面します。
    大老となった井伊直弼は条約勅許を獲得すべく朝廷に圧力を加え,他方で攘夷派の水戸派を退けます。
    井伊らは攘夷派の公家や志士を捕えてきびしく処罰しました (安政の大獄 )。
    これを怒った水戸浪士ら 18名により,大老井伊直弼が登城の途中,桜田門外で殺害した事件です。
    幕末の歴史−桜田門外の変(5景)
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    No 2114
    作品名 江戸六地蔵(6景)
    説明 江戸六地蔵とは病気平癒を地蔵菩薩に祈願するため京都の六地蔵に倣って造立したものです。
    江戸の出入口6箇所に丈六の地蔵菩薩坐像を造立されています。
    像高はいずれも270cm前後で造立時には鍍金が施されていたそうです。
    すべて寄進によって造られたもので寄進者は合計すると72000名を越えるとか。
    江戸六地蔵(6景)
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    No 2115
    作品名 東都六地蔵(2景)
    説明 文京区千駄木にある東都六地蔵の第二番目の宝珠地蔵です。
    東都六地蔵とは空無上人 が元禄4年(1691)頃に建立したものだそうで「始めの六地蔵」といわれるものだそうです。
    都内には第一番から第六番まで存在していたそうですが、今は二体しか(三番日暮里浄光寺)残っていなくて造立当初の全容を残す貴重なものだそうです。
    東都六地蔵(2景)
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    No 2116
    作品名 伝通院(5景)
    説明 文京区小石川にある伝通院(でんづういん)です。
    慶長8年徳川家康が生母お大をこの地に葬り、後に堂宇を建立し伝通院となったそうです。
    伝通院の名はお大の法名にちなむとか。
    寺には、お大の方、千姫をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くあります。
    徳川将軍家の菩提寺で常時1000人の学僧が修行していたところだそうです。
    行ったときは桜が満開でした。
    伝通院(5景)
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    No 2117
    作品名 団子坂(5景)
    説明 文京区千駄木にある団子坂です。
    坂近くに団子屋があったからとか、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれているそうです。
    幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であったとか。
    この団子坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していたそうです。
    団子坂(5景)
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    No 2118
    作品名 伝通院墓所(5景)
    説明 文京区小石川にある伝通院(でんづういん)の墓所です。
    徳川家ゆかりの女性の墓が数多くあります。
    於大の方の墓…徳川家康の生母。
    千姫の墓…2代将軍秀忠の娘。幼少の身で豊臣秀頼に嫁し、大坂城へはいる。
    孝子の方の墓…3代将軍徳川家光の正室。公家出身で武家の生活になじめないまま没す。
    その他古い墓が多数あります。
    伝通院墓所(5景)
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    No 2119
    作品名 処静院跡石柱(2景)
    説明 文京区にある処静院跡石柱(しょじょういん)です。
    処静院は今は廃寺ですが幕末の治安維持を目的とした組織“浪士隊”の結成大会が行われた所です。
    山岡鉄舟、鵜殿鳩翁、清川八郎を中心に総勢250人。
    その後、浪士隊を離れて新選組として名をはせた近藤勇、土方歳三、沖田総司などが平隊員として加わっていたそうです。
    一行は文久三年ここから京都へと発ったのは年号が明治と改まる5年前のことです。
    処静院跡石柱(2景)
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    No 2120
    作品名 ムクの木(4景)
    説明 文京区小石川にあるムクの木です。
    樹高約13m、幹周約5mの推定樹齢約400年の古木です。
    昭和20年5月の空襲により樹木の上部が焼けてしまいましたが樹高約25mもあったそうです。
    前回の澤蔵司稲荷の神木として祀られています。
    木の前には小説家幸田露伴旧居があり現在はお孫さんが住んでいるとか。
    ムクの木(4景)
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