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COSMOS さんのプロフィール

2024/05/04 キク
こんにちは。みどりの日に拍手感謝です。濁点があるなしで大変な違いです。友人にも「バイキング」と「ハイキング」のお誘いメールを見間違えた人がいます(笑)

2024/05/04 四つ葉
パンジーを透明の器に浮かべてと鰻丼がカツ丼に変わった‥に拍手ありがとうございます。GW後半ですね。鰻屋さんも混んで諦めて家でカツ丼を作りました。

2024/05/03 黒部
COSMOSさん こんにちは。「白糸の滝」に拍手をありがとうございます。渋峠で雪を見たあとにここへ回って来ました。新緑が気持ちいいですね♪

2024/05/03 四つ葉
「一笑千山青」の言葉の意味とアフリカンマリーゴールドの花の植え替え‥♪に拍手ありがとうございます。アフリカンマリーゴールドの芽が出てきてこれから咲くまで楽しみです。

ギャラリー作品一覧

2251件〜2260件を表示 (4457件)

    No 2251
    作品名 富士見多門
    説明 江戸城の富士見多門です。
    多聞とは,城郭の石垣上に建てられた長屋で,城壁よりも強固な防御施設でした。
    江戸時代の江戸城本丸には,このような多聞が各所に築かれていたそうですが,現存するのはこの富士見多聞だけです。
    平時は武器庫や書物の収蔵庫となっていたそうです。
    以前は中へは入れませんでしたが入れるようになりました。
    靴をビニール袋に入れて袋を持って入ります。
    富士見多門
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    No 2252
    作品名 和田倉壕
    説明 江戸城内濠の和田倉壕です。
    江戸時代には濠の東へも濠が伸びていて現在の東京駅を越えたところで外濠に通じていたそうです。
    この水路により江戸城と隅田川、さらに江戸湾が結ばれていたわけです。
    江戸に入府した家康がまず掘削させたのがこの濠だそうです。
    壕の向こうに見えるのはパレスホテルになります。
    和田倉壕
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    No 2253
    作品名 和田倉橋
    説明 江戸城の和田倉橋です。
    江戸時代の「木橋」の姿が残されているのは、この「和田倉橋」と「平川橋(後日紹介)」のみです。
    和田倉壕に架かりこの先には江戸時代和田倉門がありました。
    この橋より内側は、大手門や桔梗門から入場する大名や武士が通行する橋で、一般人は通ることができませんでした。
    橋は昔のままの姿に復元されたもので橋の欄干に飾られている擬宝珠は、元の橋のものを使用しているそうです。
    和田倉橋
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    No 2254
    作品名 和田倉門跡
    説明 江戸城の和田倉門跡です。
    和田倉橋を渡った所には桝形石垣があり、橋と一体で門を構成していたそうです。
    和田倉門には、鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備されていたそうです。
    現在は枡形の石垣と橋が残っています。
    名の由来は蔵があったためとか、徳川家康が江戸に入った時、この辺は和田倉という村落であったという説もあるそうです。
    和田倉門跡
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    No 2255
    作品名 富士見櫓
    説明 江戸城の富士見櫓です。
    現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。
    品川の海や富士山をご覧になったといわれ、天守閣が明暦3年(1657年)の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。
    いままでは間近で見ることができませんでしたが今は間近で櫓を鑑賞できるようになりました。
    富士見櫓
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    No 2256
    作品名 凱旋壕
    説明 凱旋壕です。
    江戸時代にはなかった壕です。
    明治時代に日露戦争の先勝を記念して、日比谷濠が埋められ凱旋道路(現内堀通り)が造られ、分断された濠の桜田門側が凱旋濠と呼ばれています。
    石垣に囲まれた直線的な濠で、凱旋濠を右手に桜田門に向かって歩くと左手側は霞ヶ関中央官庁が並びます。
    そしてその先には警視庁があります。
    凱旋壕
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    No 2257
    作品名 日比谷壕
    説明 江戸城内壕の日比谷濠です。
    祝田橋から馬場先門までの濠になります。
    徳川家康の江戸城入城時には、日比谷近辺は入り江の海岸線で日比谷入江と呼ばれていたとか。
    半蔵門から桜田門にかけて桜田濠が掘られ、その土で日比谷の入り江の埋め立てが行われ、日比谷壕は1608年頃に完成したそうです。
    石垣の上の樹木が美しい壕です。
    日比谷壕
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    No 2258
    作品名 祝田橋
    説明 皇居外苑南側にある土橋の祝田橋です。
    橋名は皇居外苑側の旧町名である祝田町から採られたとか。
    明治39年日露戦争の戦勝を祝して皇居外苑を縦断する凱旋道路が造られることになり、日比谷濠の外苑南側の石垣を崩して建設された土橋です。
    橋の西側は凱旋濠、東側は日比谷濠になります。
    祝田橋
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    No 2259
    作品名 馬場先壕
    説明 江戸城内堀の馬場先壕です。
    馬場先門橋の北側が馬場先濠、南側が日比谷濠になります。
    壕の反対側は丸の内のビジネス街で、濠をはさんで対照的な眺めが続きます。
    壕のある通りはたくさんの皇居ランナーが走っています。
    馬場先壕
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    No 2260
    作品名 大手壕
    説明 江戸城の内堀の大手壕です。
    大手とは玄関(正門)という意味なので、この大手濠のある側が江戸城の正面ということになります。
    壕の向かい側は大手町のオフィス街になり対比がおもしろいです。
    水辺の景観が東京でもいい所になり壕の縁の歩道には皇居ランナーの人も見えます。
    大手壕
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