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COSMOS さんのプロフィール

2024/05/13 fossile
ギャラリーに拍手、ありがとうございます。

2024/05/13 湯好屋三助其の2
鳴門の渦潮水彩画に拍手有難う御座います。

2024/05/13 四つ葉
亡き母の事思い出して‥娘からの母の日プレゼント‥♪に拍手ありがとうございます。娘からの母の日プレゼントはガーデニンググッズだったので早速使いたいと思います。

2024/05/12 黒部
COSMOSさん 「小安峡 大噴湯」に拍手をありがとうございます。これを見るために往復600段の階段を昇り降りしましたが、この絶景に疲れも吹っ飛びました♪

ギャラリー作品一覧

4421件〜4430件を表示 (4466件)

    No 4421
    作品名 東京のど真ん中に
    説明 東京都渋谷区にある鍋島松濤公園にある水車です。
    若者に人気の「109」から徒歩5分程。
    渋谷の喧騒から離れ、松濤の高級住宅街へと向かう入り口的な公園です。
    鍋島家は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受け、明治9年に茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出しました。
    茶園が廃止されてからは、湧水池を中心とする一画が児童遊園として公開されています。
    東京のど真ん中に
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    No 4422
    作品名 忠臣蔵29
    説明 内匠頭夫人・瑶泉院の墓は港区泉岳寺にあります。
    討ち入り前に大石内蔵助が最後の別れに来た際、慎重を期して討ち入りを告げず別れた。
    その際、搖泉院は大石の心を知らず。不忠臣と罵り、後に大石の心を知り 後悔をした。
    その為、赤穂義士切腹後の義士の家族の面倒を見ることに尽力をつくしたと言われています。
    この事件で亡くなった方々の冥福をお祈り申し上げます。これにて忠臣蔵を終了させていただきます。
    忠臣蔵29
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    No 4423
    作品名 しばられ地蔵
    説明 東京都文京区の林泉寺にあるしばられ地蔵です。
    昔から「盗難や失せ物があると、地藏尊に縄をかけ、願いがかなうと縄をほどく」 と言う変った風習があり、現在も荒縄で全身をぐるぐる巻きにされています。
    寺社奉行が町民の不満対策のために地蔵を縛らせることで解消させようとしたともいわれています。
    しばられ地蔵
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    No 4424
    作品名 忠臣蔵28
    説明 泉岳寺にある赤穂義士記念館です。
    館内には義士連名書状や口上書などの収蔵品があります。
    なかでも私が興味があったのは「首請取状」です。
    内匠頭の墓前に供えられた上野介の首は、当初泉岳寺が保管しましたが、
    その後、吉良家が泉岳寺から上野介の首を請け取り、
    その証拠に請取状を渡したのです。
    「一 首 一ケ  一 紙包 一ケ 右之通慥ニ請取申候、為念如是御座候」と
    記されています。
    忠臣蔵28
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    No 4425
    作品名 忠臣蔵27
    説明 間新六供養塔は築地本願寺の境内にあります。
    新六は四十七氏の一人で、本懐を遂げて本所松坂町の吉良邸から高輪泉岳寺へ引き揚げる途中、携えた手槍に金子50両を結びつけ、自身の供養料として本願寺の塀外から内へ投じたと伝えられています。
    こののち長府毛利甲斐守の邸に預けられ、元禄16年2月4日、自刃。姉聟(あねむこ)の中堂又助が築地本願寺に葬ったと言われています。
    忠臣蔵27
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    No 4426
    作品名 忠臣蔵26
    説明 墨田区両国の両国橋東詰の公園の一角に赤穂浪士のひとりであり、室井(榎本)其角の弟子と伝える子葉こと大高源吾の「日の恩やたちまちくだく厚氷」の碑があります。
    赤穂浪士の一人であった大高源吾は、吉良邸の動向を探るため吉良家出入りの茶人・山田宗偏に入門し、12月14日に吉良屋敷にて茶会が催されることを突き止め、この日が討ち入りの日となりました。
    本懐を遂げた後に作ったと考えられるそうです。
    忠臣蔵26
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    No 4427
    作品名 忠臣蔵25
    説明 港区泉岳寺に堀部安兵衛の墓があります。
    安兵衛と叔父の義理を結んでいた菅野六郎左衛門が、高田馬場で果し合いをすることになり、助太刀をした安兵衛は、相手方3人を斬り倒した。
    俗に言う「高田馬場の決闘」で、この決闘で安兵衛の武勇は、江戸中で有名になり、これを知った赤穂浅野家家臣・堀部弥兵衛が、安兵衛との養子縁組を望んだ。
    安兵衛は弥兵衛の娘と結婚して堀部家の婿養子となり、浅野家の家臣になった。
    忠臣蔵25
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    No 4428
    作品名 忠臣蔵24
    説明 港区泉岳寺に大石内蔵助の墓があります。
    泉岳寺境内の右手に立つ大石内蔵助像。連判状を手に東の空をじっとにらんでいる姿になっています。
    47名の赤穂浪士は細川越中、水野監物、松平隠岐、毛利甲斐の四家に分散してお預けとなり、翌年2月4日に切腹となりました。
    そして希望どおり浅野家の菩提寺であるここ泉岳寺に葬られました。大石内蔵助の戒名は「忠誠院刃空浄釼居士」です。
    忠臣蔵24
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    No 4429
    作品名 忠臣蔵23
    説明 泉岳寺内にある首洗い井戸です。
    赤穂義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれているそうです。
    忠臣蔵23
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    No 4430
    作品名 忠臣蔵22
    説明 再び泉岳寺です。
    赤穂義士は元禄16年2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
    ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。
    また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。
    現在も曹渓寺に眠っています。
    忠臣蔵22
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