COSMOS さんのプロフィール
ギャラリー作品一覧
No | 4391 |
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作品名 | 日比谷公園水飲み |
説明 | 東京の日比谷公園にある水飲みです。 この水飲みは、日比谷公園開設当時のものだそうです。(明治時代) 鋳鉄製で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。 また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれるそうです。 |
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No | 4392 |
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作品名 | 震災イチョウ |
説明 | 東京大手町にある震災イチョウです。 関東大震災によって一面焼け野原となった都心にあって奇跡的に生き残り、このイチョウは当時の人々に復興への希望を与えたそうです。 その後、復興事業に伴う区画整理によって切り倒されることになった際、当時の中央気象台長がこれを惜しみ、なんとか後世に残したいと思い、この地に移植されたという由緒をもっているそうです。 |
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No | 4393 |
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作品名 | 首賭けイチョウ |
説明 | 東京日比谷公園にある首賭けイチョウです。 明治32年頃道路拡張のため伐採されようとしていたところ、日比谷公園の設計者である本田静六博士が、移植不可能といわれたイチョウを首に賭けても移植させるといって移植したのがその名の由来だそうです。 樹齢は推定400年、日比谷公園内のレストラン松本楼(10円カレーで有名)の前に立っています。 |
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No | 4394 |
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作品名 | 武道館前銀杏の木 |
説明 | 皇居北の丸公園にある武道館、その前にある大イチョウの木です。 昔、ここに近衛師団の弾薬庫があり、万一に備えて周りを高い土手で囲み、土手の上に何本かのイチョウが植えられていたそうです。 北の丸公園の整備に伴い、このイチョウのみが残され当時の面影を保っているそうです。 |
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No | 4395 |
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作品名 | 人力車のベンチ |
説明 | 東京都江東区の八幡堀遊歩道にある人力車のベンチです。 ここには「八幡橋」(弾正橋だんじょうばし)と「新田橋」が移設・保存されています。 この橋の最大の特徴は、都内で最古級の鉄橋だそうです。 ここにポツンとあった人力車のベンチ。行ったときは猫がいて人間様はゼロ。 カップルが座っていれば絵になるようなベンチでした。 |
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No | 4396 |
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作品名 | かねやす |
説明 | 東京都文京区本郷にある「かねやす」の店頭にある川柳です。 200文字では説明ができませんので、興味のある方は面倒でも私のブログをご覧ください。 |
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No | 4397 |
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作品名 | お白州跡 |
説明 | 東京都世田谷区の閑静な住宅地の真ん中に、江戸時代の代官屋敷がそのまま残っています。 現存する大名領代官屋敷は都内ではここだけで、表門と主屋は国の重要文化財にも指定されています。 庭の一角には、時代劇などで目にする「白州(しらす)」もあります。 「白州」に至る小道の先には「白州通用門」もあり、罪人が捕えられて白州にあがります。 屋敷の前では今でも「世田谷ボロ市」が開催されています。 |
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No | 4398 |
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作品名 | 落馬地蔵 |
説明 | 東京都新宿区にある落馬地蔵です。 三代将軍家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中この場所で馬が止まりその反動で落馬してしまったそうです。 何にか感じる物がありその地を掘らさせてみると一体のお地蔵さんが出土しました。 家光はこれを落馬地蔵と銘々し村人にお堂を設けさせ安置したそうです。 実物は戦災で破壊されたため現在のはレプリカだそうです。 |
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No | 4399 |
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作品名 | 鼠小僧次郎吉の墓 |
説明 | 東京都墨田区の回向院にある鼠小僧次郎吉の墓です。 鼠小僧次郎吉の墓石のかけらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」などともに、受験生などには「するりと入れる」ご利益があるといわれるようになりました。 そのため墓石を欠き取る人で後を絶えなかったようで、現在は墓前に欠き取り用の墓石が置かれています。 写真の若い人も墓石を欠き取っていました。 |
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No | 4400 |
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作品名 | タローとジロー |
説明 | 東京タワーにあったタローとジローたち樺太犬の像です。 日本による初期の南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟です。 南極に取り残されながら共に生存し、1年後に救出されたことで有名になりました。 この樺太犬の像が「東京五輪招致」のために撤去されました。 撤去のニュースが新聞に掲載されたとき、東京タワーに苦情が殺到したそうです。 |
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