ナビトモのメンバーズプロフィール

COSMOS さんのプロフィール

2024/04/26 湯好屋三助其の2
笑ってるパンジー写真に拍手有難う御座います。

2024/04/26 黒部
COSMOSさん おはようございます。「飯坂温泉」に拍手をありがとうございます。最近は共同浴場に入り地元の方とふれあうことがこの上ない楽しみになりました♪

2024/04/26 四つ葉
友人と電話の時間は大事と甘いも我慢したがついモンブランケーキ♪に拍手ありがとうございます。健康診断前なので少し甘いものを控えていたのですがケーキを食べてしまいました。

2024/04/25 湯好屋三助其の2
上から目線のツツジ写真に拍手有難う御座います。

ギャラリー作品一覧

31件〜40件を表示 (4449件)

    No 31
    作品名 靖国神社とその周辺【蔵出し】(18景)
    説明 靖国神社は幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、黒船来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀っています。
    その柱数(柱数とは神を数える単位)は平成16年現在で計246万6532柱にも及ぶそうです。
    その境内にあるものです。
    靖国神社とその周辺【蔵出し】(18景)
    作品の詳細はこちら

    No 32
    作品名 靖国神社大燈籠(海軍)【蔵出し】(8景)
    説明 前回の海軍になります。
    靖国神社大燈籠(海軍)【蔵出し】(8景)
    作品の詳細はこちら

    No 33
    作品名 靖国神社大燈籠(陸軍)【蔵出し】(9景)
    説明 靖国神社参道の左右にある日本一の大きさの大燈籠です。
    右側の燈籠には日清戦争から満州事変までの旧海軍の戦闘場面が描かれ、左側の燈籠には同じく日清戦争から満州事変までの旧陸軍の戦闘場面が全部で14場面が描かれています。
    終戦後、GHQによって撤去させられそうになったが塗りつぶして免れたそうです。
    昭和10年に富国徴兵保険(現富国生命)が奉納したものだそうです。
    靖国神社大燈籠(陸軍)【蔵出し】(9景)
    作品の詳細はこちら

    No 34
    作品名 大村益次郎像【蔵出し】(3景)
    説明 靖国神社参道にあります。
    高さ12メートル。彫刻家 大熊氏廣(おおくまうじひろ)制作です。
    筒袖羽織(つつそでばおり)に短袴(たんこ)を着け、左手に双眼鏡を持った大村益次郎銅像は、江戸城富士見櫓から北東方面の上野に籠もる彰義隊を凝視している姿をモデルにしたとも言われています。
    大村益次郎像【蔵出し】(3景)
    作品の詳細はこちら

    No 35
    作品名 戦跡の石【蔵出し】(4景)
    説明 靖国神社境内にあります。
    戦没者の遺骨との再会すらできない遺族を想い、せめて戦場の石でもと、各戦地より51個の石が集められ、そのうちの25個か展示してあります。
    戦跡の石【蔵出し】(4景)
    作品の詳細はこちら

    No 36
    作品名 靖国神社大鳥居【蔵出し】(3景)
    説明 靖国神社のシンボルとも呼べる第一鳥居です。
    もともと創立50周年記念として大正10年に建立された鳥居が建っていたのですが、昭和18年に老朽化および戦力増強のために撤去されました。
    現在の鳥居は終戦後の昭和49年に新しく建てられたものです。
    その一部が残されています。
    靖国神社大鳥居【蔵出し】(3景)
    作品の詳細はこちら

    No 37
    作品名 さくら陶板【蔵出し】(9景)
    説明 靖国神社の境内にあるさくら陶板です。
    さくら陶板は御祭神が往時歩まれたであろう故郷の土を用いて、日本が誇る伝統的文化である陶磁器焼成の技術により制作されたものです。
    國神社の象徴ともいえる「桜」を模った形状に統一され、制作された陶板一枚一枚には、慰霊の心とその継承が表現されています。
    令和元年6月にできたものだそうです。
    さくら陶板【蔵出し】(9景)
    作品の詳細はこちら

    No 38
    作品名 常燈明台【蔵出し】(2景)
    説明
    千代田区九段北の靖国神社の近くにあります。
    明治4年に招魂社(靖国神社)の灯籠として奉納されたもので、高台に設けられていたため東京湾の漁船の目印になったといわれています。
    常燈明台【蔵出し】(2景)
    作品の詳細はこちら

    No 39
    作品名 九段坂【蔵出し】(5景)
    説明 千代田区九段南にあります。
    江戸時代までは九層の階段となっており、徒歩でしか通行できない道だったそうです。
    明治以後、段差を廃して坂道となりましが、見上げるような急傾斜だったため、荷車を上げることは相当困難だったそうです。
    そこで、食い詰めた人々が「立ちん坊」とよばれる人足となって九段坂下で待ち受けており、荷車を押すことによってなにがしかの報酬を得ていたといいます。
    九段坂【蔵出し】(5景)
    作品の詳細はこちら

    No 40
    作品名 蕃書調所跡(ばんしょしらべしょ)【蔵出し】(2景)
    説明 千代田区九段南にあります。
    蕃書調所は、最初「蕃書和解御用」として西洋の書籍を解読して海外事情を調査するために設置されたものだそうです。
    その後、幕臣・諸藩の家臣らに対して西洋の文物を教育する機能も加わります。
    のち神田一ツ橋通りに移転して、洋書調所、さらに開成所と改称し明治二年に大学南校となり、開成学校と改称しました。
    現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身になります。
    蕃書調所跡(ばんしょしらべしょ)【蔵出し】(2景)
    作品の詳細はこちら

31件〜40件を表示 (4449件)

 




ブログランキング

上部へ