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教えられるブログ2

何時かは看取らねば 

2018年09月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

実は先月の事、毎日介護ベット生活では有りますが自分からトイレに歩いて行けたし何の問題は無さそうに自分の身支度をして来たが早々出来る物ではない自然と体が付いて行けない状態、人の手を差し出さないと身支度も儘に成らない。
この様な状態からある日お腹が何時もより違った痛さを感じ手持ちの薬で収まる痛さではなさそうだったと聞く。其れは異常事態で緊急搬送となり毎度のピーポが迎えに来た様だ。そしてすぐに病院かなと見て居ました処、掛かり付けの病院ではこの痛さから診察出来る機器がないと云われ爺さんが世話に成った病院へと走ったようです。
取りあえず落ち着くまでICUで観察なのか病室が塞がってたかは聞いてなく過ごしてました。そして家族の一人が看病へと病室で母と会話してたが緊急で入ったが為に出入りが多くなり周りにもご迷惑と感じICUから個室へと移動された。

此れなら何人入っても迷惑にはならず親子の会話も家庭的に話せた。とある日、嫁が元気な内に会話しようと一人で病院へ向かったのです。六時間程度掛かるが真直ぐ病院へと急いだ、母に問いかけ出来たと聞いた会話は鼻から酸素吸入状態でお腹に胆のうからの液を吐き出されるチュウブが刺さってた為に窮屈で会話もしたくない様に首で頷く状態が始ってたのです。

そうこうしているうちに母すっかり黙り込み頭が休んでるような眠りに入ってしまった。自分が出かける前までは反応が有って「痛いっ?」、「苦しいっ?」などと声を掛けて来た。しかし時は流れる、母は自然と我らの話を受け入れず時には痛さから顔をしかめる、腕の上下もする。痛さは有るようで苦しんだりも顔の動きから読み取れた。

自分は今月から病室に入り夕方から夜間に看病をする。親の顔を見ながら動きを確認するも寝床の毛布が腕の動きではだけてしまいその都度戻してあげてた。無意識に動かす腕は右下に体を動かせば手が勝手に上下させる、反対にすると全く動かす気配はない。

病院では床ずれが起きるからと言って堪えず体を動かして寝姿の位置を変える。しかし母の今は床ずれ処か先が見えてる体に床ずれが起きるとも考えられず暫く様子を見てました。何故か左下にすると大変苦しそうに顔をゆがめる。日中は数人見守って居る為か意外とゆっくり寝ている感覚が有るが自分は夕方から夜にかけて付き添いでしたので飽きる?くらい顔を見続けてた。

今日も頑張って呼吸していると安堵するも夜に成れば病院は独特の雰囲気に入り家とは全く違う、何かと看護師の動きが在るので世話しなく感じる場所、母の状態を看護しているのだから安心と思えば楽なのだが。

母の顔を見る触っても普段と変わらない穏やかな寝姿、温もりも毎度の体温がある。入院九日目に入った朝一番7:15 分先生方の回診時間です。主治医が廻って来るが今日は四名で来た、何やら分からない会話で立ち去ったが微妙に何か変に感じる回診でした。酸素吸入器のレギュレーター隣に変な品物が取り付けられてしまった。バキュームだとか後で感じる、カテーテルチューブと書かれた製品も一緒に置いて行く。此れは困った事が起こりそうだと直感。

親の状態は少しづつでは有るが体力が落ち呼吸と血圧の低下が徐々に落ち始めてた、10日経った時先生から大夫血圧が低く成り末期の時が来たと告げる。もう覚悟するしかないと自覚、母に頑張れと声を掛けながら涙を落してた。切ない時間は暗い夜だった頑張れ母ちゃんと頭を撫でて過ごしてた。

朝に交代では無いが姉妹が駆けつけて来た、朝自分への食事を持って来たのだ毎日の繰り返しでこうしてた。「母ちゃんどげだ〜っ」と顔を見ては今日も命が有ると雑談しながらベット横で話を続けてる。先生から明日へもと言われたよって話すと仕方ないねと言うも先月の入院時の様子からすれば何故治らないかと思ったりも浮かぶ。

親の身体はもう限界まで来ている百一歳の歳から見れば治療の手術はおろか体にメスすら入れられない、もう錆びついた身体だけに処置の施しようもないのです。せめて今の姿でも長く続けられる事だけを願って毎日いるのだ。看護師が入って来た22時の時間に血圧が落ちて危ない母の様子。

病室から身近に居る人姉妹に電話で呼び寄せた、一時間少しで集まる。こんな事に成ってしまったのかと母と会話する、母は何も反応せず此方からの問いかけである。頑張れと話すがゆっくりした呼吸は途切れなく続いてた。手の動きが無くなり顔つきも穏やかその物で呼吸をしてる。

0時を廻ったしかし呼吸は続く未だ天国の父からの呼びかけは来ない、昨日までの苦しみと痛さから解放されたかのような静かな寝姿で時間は過ぎて行く。覚悟は出来てるももう少し伸ばせと心が叫びかけてた。看護師の回診が来た、何も言わずだが脈と血圧を確認した又来ますねと部屋を出た、未だ呼んでない父だ。

1時を廻った母の呼吸が今にも停止しそうにゆっくりゆっくり刻み始める、頑張れとさする家族、頑張れの声で励ます、母は疲れたようで呼吸は止めてしまう。口の開かぬ母、ステーションから慌てて看護師が来た、如何やら機器に変化が出たので確認しに来たのか、当直の先生が今来ますので少しお待ち下さいと告げられ母の顔を見ながら声をだして皆で泣いた。

とうとう引導が渡されてしまった。何時何分息を引き取りましたと告げご愁傷様でしたと。
もうこうなれば次へとセレモニーに電話する。相手も商売だこの時を待って居るとは不謹慎だが仕方ない、病院から引き取り自宅へ連れて帰らなければと車を出向かせた。

真夜中に無言の帰宅した母は温もりを残して毎日暮らしてた部屋に落ち着く、二週間前まで何も無く過ごし会話も飽きさせない母だったが今日はもう口は開かない、寂しい部屋に成ってしまった。
一世紀もの世の中を見て来た母は物凄い人生を送って来た。もうじき冷たいドライアイスに囲まれ数日間過ごす事になる。
生きてる母と今の母でも同じと自分は見てました。病院生活では苦しめた感は有ったが静かな眠りに入って安心したかの顔は落ち着いてた。もうこの世に居ないぽっかり空いた自分の頭が反応する。
何ん日部屋に居られるのかねと語り掛けながら横に座り母の顔をさすっては交代してた。

姉も妹も此処まで生きて来たと喜ぶも、もう居ない母には顔を崩しながら声をだして涙なみだでした。
斎場が決りセレモニーの誘導に従い会葬も終わらせた。火葬場の関係とお寺さんの事で、もう少し時間を置きたかったが長い人生の終了はあっという間に仏へと変わり101歳の大往生ともてはやされる。

祝える反面もういないと成ればこんなに寂しい我らは堪えられない、現実なのだが数日しても変わらないし世間で言われる四十九日まではしんみり過ごすのが良いようだ。後日納骨が有るので田舎に出向くが元気な母の姿は見られないのが寂しい。此処まで育ててくれた母は素晴らしいと自分も生きざまにしたいと誓った。



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心から

babatakoさん

お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

2018/09/29 17:56:57

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