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朱鷺の“人生七転び八起き”

言われてわかる。言われなくてもわかる。 

2015年02月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


人の言う言葉を、どのように聞くか・・・感性の問題にもなりますが。自分は、こうだから、それしかないとなったら、あーそうですか。ということ、なのですが。そしてまた、それは「こうです」と言われたとしても、知識として覚えておきます、程度のことになる。明治の文豪さん達・・夏目漱石らが、今の日本語を構築したらしいですね。しかし、そこには、日本人にらしい感性が、含まれている。夏目は「好きです」と異性に言う代わりに「月が、綺麗ですね」とか、表現した、とか。ダイレクトに、言わないで、さりげなく。それを受け取る女性の感性も、高くなければ「何いってんのよ。月はいつもと同じ」となる〜ここらが「風流」などを、分けますか。「いつも見る月と違って、特別に綺麗に見えるのは、好きな貴女と見ているからです」。日本男子は、こう、はっきりと言わないもので。いえないということを、日本女性は知っていた。そういう関係性の妙は・・・いまは、ないかもね。想っていることを、ちゃんと言葉にして言ってよ。言わないと、分からないじゃない?これがグローバル社会というのもで。たとえば、私たちは、生まれたときから、他人の感情や評価・判断を植えつけられます。「これは、してはいけないこと」「これは、すべきこと」「これは綺麗ね」「これは汚いよ」小さいころ、犬を叩いて、犬がそれに抵抗しようとワイワイやることが、面白い〜。としている。それを見た人が「そんなことをしたら、かわいそう。やめなさい」と言われて、・・「叱られたので」とりあえず従います、ね。楽しいのに、なぜイケナイと言うのだろうと、思いつつも「こうすること」と覚えます。やがて、学校へ行くようになって、、、同級生にイヤガラセをされたりします。モノを隠されたり、陰険なことを言われたり・・・「なんてことを、するんだ」と腹立たしく思う。そのとき、殴っていた犬の思いと、自分の思いが、シンクロする、瞬間がある。としたら。そのとき「そうなのか」と、思い当たる。あのときの犬も、こんな気持ちだったのかなっと。そうなったら、教え込まれたから守る。ということから、自らが「それはできないこと」となる。こういうことも、その人の感性を磨く。ということに、なりますか。

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