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朱鷺の“人生七転び八起き”

人として生きられないトコロ 

2015年01月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


芥川龍之介の「杜子春」は、なかなか〜答えがあるような、ないような、問いだけを残したような小作品でした。なにが正しいのか、間違っているのか。その中間で〜宙ぶらりん・・・。世俗に生きるのは、コリゴリとなって仙人になりたいという杜子春。そこで仙人は。修行の最中は、なにも言ってはいけない。と誓わせます。そんなこんなで、さまざまな事態が起きてもその言葉を思い出して、杜子春は何も言わない。修行のすえ、死んでしまう、それくらいマジな修行です。ところが、最後の場面で、畜生道に落ちた両親に会う。鬼たちに両親は散々な目に会わされます。・・・じっと耐える杜子春。しかし、母親の「お前の修行のためだから、どんなことをされても耐えます。お前は、何も言わないように・・」と言うのを聞いて。我が身を呈して、わが子を守る〜親心・・・母の心・・・。思わず・・・「お母さん」と、言ってしまう。これで、修業は、ご破算。でも仙人は、そこで何も言わなかったら八つ裂きにしてやったトコロだ〜とか言うんですねぇ。人情が、一番〜大事・・・って日本的な心情ってことでしょうか。ところで原作の「杜子春伝」では、杜子春に大金を与えるのは仙人ではなく道士です。杜子春は地獄に落ちた後、女に生まれ変わって誕生します。やはり全く物を言わず、結婚して子を産んでも喜びの声一つ発しなかったため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、そこで妻(杜子春)が悲鳴を上げたところで現実に戻り、道士は声を出さなかったら仙薬が完成し道士と杜子春は仙人になれたのに、と言ってその場から消えてしまいます。残された杜子春に、フォローは、なし。〜の、突き放し〜原作では、人間のあらゆる痛みの源は人間の情(愛着・愛欲)にあると。愛への執念は捨てるべきだと提唱している。芥川は、人間の情を捨てて「人として生きられるか? 」を問う。母の心と、子供の心を入れ替えて、違うお話にし、シンクロしているところが面白いか。。ともかく。原作では、徹底していますね。中国人と日本人の考え方の違い。それも現れている、かな。

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