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朱鷺の“人生七転び八起き”

誰にも愛されていない 

2013年02月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

ちょっと過激なタイトルですが。
それをマジで信じている人もいますね。

誰かには、愛されているんじゃないの?

誰だって、一人や二人。
気心の知れた友達がいるでしょ?


そうはいっても
気心は知れていても、完全に
相手を信じきれない・・・。


という一抹の不安も在るわけでして。

では、それが思い当たらなければ
家族は、大丈夫でしょ?

と・・・思うのですが。
「誰にも」という人は、家族さえも。
となってしまうようでして。


わたしらは、小さい頃から
「こうだったら、愛してあげる」
メッセージを受け取って生きて来る。

それを真面目に受け取る人は、
その要求に応えようと、自分じゃない
自分を作り上げてしまうのです。ね。

そんなこんなで。。
「要求に沿えない自分は、愛されない」
となってしまうようです。

心の根本にあるのは、家族の対応〜
「こうだったら・・・」が、染み付いて
そこで、心のクセが出来てしまう。

誰に対しても
「こうだったら愛される」という自分で
対応してしまう。
たかだかの、どうでもいいような人にさえも。


しかも。クセになっているから、
そうしていることは、気づけなくなる。

「こうである」自分が、自分だと錯覚。
そのまま行くと

「こうしている」のに、何故、愛されない。
という壁にも、ぶつかります。

ひとりひとり「こうして」の要求が
違ってきますから、合わせられません。

そこで。
うっすら〜としたトコロに、
「愛されていない」感が、つきまとう。

世界の中心で
「愛されたいよぅ」と叫ぶ。
(ちょっと古かった)

さて。どうしたらいいか。

もう。言わずとも、分かるでしょ?
もう知っているでしょ。

気付いているけれど、怖い。
クセは、自分の身を守るために
作り上げた防御服・・・だから。


脱ぐに脱げない〜
この恐怖が、見えるものを見えなくさせる。


愛は、いつでも、
あなたのそばに居た。と。

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