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家族新年会 

2017年01月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

お昼に子供たちが家に集まり新年会を行った。

遠く離れている孫も来てくれる。

久しぶりの水入らずである。

全員で催す会は特に行っては居ませんが、
用事が有れば来てもらう程度の顔合わせです。


宴が始まって30分突然の電話が入った。
この時間に誰かな?と思ってたそればおふくろでした。

先日送った花の写真と山で撮影したものをA4サイズに
数枚並べたものを四枚送っていた。

送ったが母介護施設に一週間入ったり戻ったりを
していたので落ち着かなかったようです。


そして此方から電話しても行き違いに成り、留守に
成ってたのが行き違いを生んでた。

新年の挨拶かと思ってたら子供(自分たち)から
何の連絡もないので心配で電話掛けたと言ってました。

親って言う親は何歳に成っても気がかりな事を思って居るのだ、例え連絡が途絶えると心配が募り突然居たかと電話掛けて来る。

こっちから電話掛けると何の用だ?と問いかけて来る。
元気ですか?と言うも丈夫でないと返事が聞こえる。

この歳まで生きる(99歳)のは大変な物良いのか悪いのか分かりませんと毎度同じ返事が返って来るのです。


大正7年から現在まで生き延びた母は子供たちを育てて来る過程には終戦後食べ物が不足で餓死してもおかしくない
自分を抱えて田舎に疎開してた。


この田舎が無かったら自分は居ない。

この様な時代を乗り越え今に至るが父を成しても喜全としてた。


母は強しである。

この勢いで自分は悪にも成らず孫に恵まれ平和に暮らして居るのも矢張り母の教えが有ったからと考えてた。

子供も一家を構える親になり通常の暮らしをして来てる。

会って話せる機会は少なく用事と成っても電話で対応が
当たり前、わざわざ呼んでまで話す何て最近もその前も
有りませんね。

和やかな新春に顔を合わせて語らう一日は自分に取って、
子供に取っても意義のある会話が有るのです。



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