なんで?

生き厭きた人の選んだ方法 

2016年09月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:時間

   末期ガンの人の日記を読みました。
 いまのお医者さんには治せない病気がずいぶん沢山あります。 
 新しい細胞を造ったとか間違いだったとか騒いだコボちゃんの周囲の研究者は無駄な努力をしていると思います。
 幻と言われる黒田の家伝薬は643年一子相伝で、いま私が継承して戦前からのお客さんと少数のフアンのために作っています。現在流行りのサプリメントほど高額ではありません。
 細胞の変質を元に戻す作用があるので、大抵の「異常」は本人がおかしいと思った時用いれば¥3500で「アメーバサイト」のメールみたいに簡単に消えてしまいます。
 明治26年に官許を得て大阪空襲の年まで、皮膚病一切と婦人病の薬として製造販売していました。昭和21年に父が脳卒中で亡くなり、後継者なく冬眠状態になっていましたが、昭和48年から私が造るようになり、平成元年に新しく特許をとりました。

 お医者さん無用の私も来年は83歳になりますので、いつまでも守っては行けないでしょう。

 世界中の薬の情報を集めているビル・ゲイツさんに手紙を書こうかと考えています。

 黒田職孝さんが目の薬としたのは賢くて、私の眼は大変よく、まだ眼鏡無しで毎日編み物、洋裁、読書をしています。今年は70坪の畑を手に入れて、トマトを作りました。放ったらかしの畑ですけど、美味しいトマトを8キロ、6キロ、4キロ、5k、3キロ収穫しました。



 私の母は、100歳7カ月でアタマはハッキリしていましたが足が弱くなって、「退屈やからもう病院へ行くわ」と一人で救急車を呼んで、入院しました。病院は、翌日から絶食、点滴、いろんな機械を身体に繋いで、死ねるよう努力してくれました。

 でも母はチューヴが気に入らなくて、家へ帰ると言いました。20日目にチューヴを全部外して貰って家へ帰り、二日目の夜、眠っていて亡くなりました。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ