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風薫る散歩道

船旅 16日目 コロンボ(スリランカ)を歩く 

2016年08月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


16日目 コロンボ寄港そして観光 4月27日 晴


  今日は初セイロンで、コロンボ市内を自由行動しながらの観光ををする予定である。目は5時頃には覚めていた。着岸予定は6時であったが、既に着岸している様子であった。
 同室のOさんも起きていたので、私も起きて早々に髭剃りをし、今日の出発準備をした。午後から80%の雷雨予想なので、折り畳み傘と使い捨てカッパをボディバックに入れ、サンダルでなく靴で出掛けることにした。


 あるツアーの出発が6時45分になっていたので、本日の朝食は5時45分から開始になっていた。丁度45分に4階のレストランに行くと、既に長蛇の列である。早々に食べ下船許可の放送と船内両替開始の放送を待つ。6時半過ぎに下船許可、すぐ後に両替開始の船内放送があり、早速20US$を両替(10US$の2パック限定です)し、自由行動をする5人の仲間の集合場所に行った。


 今日はTさんとKさん二人の女性と自由人MさんとJさんと私の男性3人でコロンボ市内観光に出掛ける計画である。Mさんがコロンボ観光の経験があり、英語も少し喋れるとのことなので今日は心強く出掛けられる予定であった。


 下船をし、すぐ用意されたシャトルバスで着岸した所から1km少々離れたゲート3に行った。ゲート3の真ん前は庶民の街ペター地区になっていて、観光には最適な出発ポイントである。


 トゥクトゥク(3輪車)を利用したいので、港から少し離れた場所で2台のトゥクトゥクを捕まえ(向こうから声を掛けてきたのだが)、殆ど交渉らしい交渉もせずに、郊外の仏教寺院キャラニア寺院に向かった。




トゥクトゥクに乗るため少し港から離れて探す





2台に分乗し市内観光に


 トゥクトゥクの感想は、思ったより快適であった。確かにクッションは悪く、道路のデコボコはそのままお尻に伝わるが、そんなにひどくは無い。問題は運転と言うのか、交通ルールがあるのかないのか、割り込み、追い越し、並走・・・なんでも有りです。もしぶつかったら乗っている私はすぐに車外に放り出され大怪我でしょう。でも巧みにぶつからないのです。
 トゥクトゥクは小型なので、平気に1車線の中を2台で並走したり、割り込んで行きます。私の真横20cmにはトラックや乗用車が・・・走っている。(恐ろしい光景です)


 45分ほどでキャラニア寺院に到着。靴を脱いで裸足でお参り見学です。大きな菩提樹の元お釈迦さまの像があり、熱心な信者(仏教徒)があちこちでお祈りをしています。同じ仏教国の日本とあまりに違う風景です。






 キャラニア寺院





菩提樹の元にはお釈迦さま





靴を脱いで裸足で






金箔の釈迦像



 40分ほど見学し、市内のシナモンガーデンに引き返します。トゥクトゥク2台は途中、川や象やヤシの実ジュースといろいろ寄り道をします。これが最後に問題となりました。




繋がれた象・・気が立って暴れていました



 市役所の前シナモンガーデンで降り、ここからは徒歩で廻るのでトゥクトゥクはもう要らないと運転手達に言うと、2時間なので一人当たり2000ルピーを要求です。5人なので1万ルピー、日本円で8000円です。通常タクシーで往復しても2台で6000ルピー、ましてトゥクトゥクなら高くて4000ルピーです。5人で相乗りした意味は全くありません。 
 やはり乗る前にしっかり値段交渉をしてなくては、こんな目に会うのでしょう。”ボラれるので注意”と言われていましたが・・・残念でした。
 これで両替した金額三分の二が無くなりました。


 



シーマ・マラカ寺院

 
 シナモンガーデンから歩いてギャンガラマヤ寺院に行く。入場料が300ルピーですが、皆さんは入場しないと言って、近くの湖水に浮かぶシーマ・マラカ寺院の方に行くと言います。仕方なく皆さんと一緒にシーマ・マラカ寺院に行くと、そこも入場料300ルピーが必要。トゥクトゥクで現地通貨を使い切った人が居て、両替が必要。皆さんは両替も兼ねて一旦港の近くのペター地区に戻るという意見になった。私はギャンガラマヤ寺院を観たかったので、ここで皆さんと別れてギャンガラマヤ寺院に戻り見学することにした。すごいお寺と言ううことはないのですが、一応観光目玉のお寺なので見学はしておかなくては・・・・






 ギャンガラマヤ寺院
















 寺院の中でピースボートの方々ともあった。一通り観てから私もペター地区を目指して歩き始めた。


 さてここからが冒険?2幕の始まりです。


 ペター地区に向かって歩いていると、途中空軍基地(滑走路は無く、オフィスだけの様な)の前で、身なりの良い男性が英語で語りかけて来た。


「○▽◇・・×○▽」「Do you understand?」
「sorry I can not speak english」
  でもいろいろ簡単な英語で話し掛けてきます。


「家族は?」「子供たちは?」「次の寄港地は」「先の地震では日本から多くの援助してもらった」「自分の妻は学校の先生」「息子は銀行に勤めている」「娘は薬剤師」「自分は47才で空軍を昨年退役したが、まだ勤めてはいる」「あなたどこに行くのか?」いろいろ尋ねてくる。


 ペター地区に行くのはこちらの方だと道案内もしてくれる。


 中央駅の南側の通りを歩いて行く。
 私「あれ??」
 私「ペター地区をこの駅の向こう側だけど、こちら側から行けるの?」
 紳士「大丈夫。真っ直ぐ行くとペターに行ける。」
  私「いや、この左側でしょう」
  紳士「大丈夫、真っ直ぐ行って左に曲がれば」


 スマホを取り出して、GPSで現在位置と地図を確認する。ずっと先まで 左に曲がる道は無い。しかも鉄道の引き込み線が広がっている地区で住宅が無さそう。
 これはおかしい?、
 私「私は戻りますね」
 紳士「え!どうして真っ直ぐ行くとペターに行けるよ」
  私「戻ります」


 しつこい案内の誘いを振り切って引き返しました。執拗には追ってきませんでした。
 身なりは良かったですが、良く考えるおかしいことがある。一体彼は何処へ行く予定で、私と一緒に歩いていたのか、親切だけ??


 地図をよく確認すると、ずっと前の交差点で真っ直ぐ行けばすぐペター地区にすぐ行けたのに、何故彼は右に曲がり、私を遠回りの道を案内しようとしたのか。
 多分、人寂しい場所に誘い込み仲間が待っているのか。何か・・・


 簡単に人を信用してはいけないことを改めて自覚しました。でも簡単な英会話勉強時間でもありました。(笑)
 

 これが”?”のきっかけになった中央駅
 




スマホに入っている地図、GPSと連動し現在地と目的地が分かる


 ひとりになり12時も少し回っていたのでフォート地区のオフィス街に行き、ファーストフードでもあれば、涼みながらトイレも借りて昼食にしようと思い行先を変えた。
 丁度昼休み時、ビジネスマンが通りやレストランに溢れていた。取り敢えずファーストフードのお店も見つからないので、トレードセンターと書かれたビルに休憩と涼みに入った。





フォート地区

 
 トイレを済ませ、汗が少し収まったところで再びペター地区に向かった。


 途中にハンバーガーを売っている店があったので、取り敢えず入りマンゴウジュースとハンバーガーを注文、合計280ルピーでした。マンゴウジュースは甘くトロリとして抜群の美味しさでした。喉もお腹も収まったので、また歩き始めた。






食べ掛けですみません

 
 10分位でペター地区に着く、まず最初にジャミウルアルファー・モスクに行く、靴と靴下を脱いで中に入る。中には観光客らしき人が誰も居ない。そして私を胡散臭そうに見る信者の人たち?・・・
 これは場違いか、写真も撮らずに早々に外に出る。
 外観だけ写真に撮って、喧噪な街をうろつくことにした。




ペター地区





ジャミウルアルファー・モスク



 次はオールドタウンホールを観に行く。巨大な鳥のゲージがある。この隣の建物がホールかな?、一応写真を撮って再び街歩きを、でも暑い。そろそろ体力の限界かな。




オールドタウンホール



 一旦船に戻ることにして、シャトルバスの発着所の第3ゲートに行く。30分置きにバスが船と往復しているが、丁度出発した後であったので、再び30分近く炎天下の中バスを待つことになった。


 ゲートの守衛さんがまた英語で話し掛けて来た。再び英会話教室である。彼の父親は私のひとつ年上、子供みたいな年令の守衛さんと会話(なっていたかな?)しながらバスを待ち、船に向かう。着岸した埠頭には10軒程のお土産物店が並んでいたので、最後の210ルピーを“紅茶”に替えて、残金を0にした。






デッキから眺めるコロンボ港



 船に入ろうとしたら、ここで第3幕が・・
 乗船出来ないとタラップの前で足止めをくらう。船からは何かベルの音が聞こえる。
 「もうダメ! 暑いし疲れ切っている・・助けて!船に乗せて!」


 日陰も無い埠頭で待つこと15分・・・やっと乗船可能に、早速船室に戻りシャワーを浴び、冷たい水をごくごくと飲んで一息つきました。
 まだ3時ちょっと過ぎなので、帰船リミットの9時までには6時間もあります。でも、もう気力と体力が残っていません。そのまま部屋で体を休め、早めに夕食を食べ、疲れていたので9時には就寝。


 すぐに乗船できなかったのは、船の3階で煙が出て警報がなり、その処置をしていたので、一時的に乗船をストップした様です。
 いろいろ経験した記憶に残る一日でした。


 

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