えいげきブログ

『駆込み女と駆出し男』 もうひとつの縁切り寺 

2016年03月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:映画の小ネタ

こんにちわ、えいげきです。

みなさんは昨年5月に公開された『駆込み女と駆出し男』という映画をご覧になりましたでしょうか?

妻から離婚することが難しかった江戸時代、自らの人生を切り開こうと離婚を決意し「東慶寺」に駆け込む女性たちと、彼女たちをサポートして夫との間を調停する御用宿「柏屋」の人々を、リアリティにこだわって生き生きと描いた時代劇です。井上ひさしの短編集「東慶寺花だより」をもとに、『わが母の記』の原田眞人監督が映画化しました。

妻自らが駆け込むか、身につけているものを寺の敷地内に投げ込むことができれば、夫と離縁できた縁切り寺、東慶寺。このお寺は古くから縁切寺法という特権を持っていました。実は、この特権が江戸時代を通じて維持できたのは、徳川家康の孫娘、千姫に関わりがあるんです。

千姫は豊臣秀頼の娘、天秀尼の命を助けるため、自分の養女としました。千姫の後ろ盾をもつ天秀尼が東慶寺に入山する際、寺法の永続を家康に強く願ったことから、東慶寺の縁切り寺法が再確認され、以後この特権が続いていくことになるんです。徳川幕府が治める江戸時代おいて、家康の威光がどれだけ強かったかがうかがい知れますね。

ところで、この特別な縁切り寺法を持っていたお寺が東慶寺以外にもうひとつあったのをご存知ですか? それは上州(群馬県)の「満徳寺」です。満徳寺は徳川家発祥の地とされる徳川郷の寺として、江戸時代を通じて徳川家の庇護を受けていました。豊臣秀頼の正室であった千姫は、大阪夏の陣で救い出された後、いったん満徳寺に入り豊臣家と縁を切った上で本多忠刻に再嫁したとされています。(ただ実際は、千姫は満徳寺に入山せず、侍女が身代わりになって務めたといわれていますようです。)

この千姫入山の際に満徳寺の縁切り寺法が再確認され、こちらも江戸時代を通じて縁切り寺としての特権を維持していきました。
「東慶寺」「満徳寺」2つの縁切り寺のどちらにも、千姫が深く関わっていたんですね。徳川家の庇護にのみ頼っていて檀家がいなかった満徳寺は、残念ながら明治維新後に廃寺になってしまいました。今は旧敷地が満徳寺遺跡公園になっているようなので、機会があれば訪ねてみたいなと思っています。

映画をきっかけに新しい知識を得て世界が広がると、映画がさらに楽しくなりますよね!

ではまた。

『駆込み女と駆出し男』は衛星劇場で4月3日(日)ほか放送予定です
http://www.eigeki.com/lineup?action=detail&id=39775



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR

上部へ