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朱鷺の“人生七転び八起き”
存在の軽さ
2016年03月14日
テーマ:テーマ無し
わたしたちは、いつでも、自分は正しいと思っているし、自分の感じていることも、間違いないと・・。でも、ホントに、たかだか「自分が感じている世界」なのですね。ずっと前。20代のときに仕事場で、仲間と楽しく働いていました。そこで、仲良くしていた人が、退社することになりました。仲が良かったので、また遊びに来てください。何かあったら連絡していいですか?と聞くと「そんなことは、とんでもない!」 と拒否されました〜そのときは、去ることの寂しさで未練を残したくない、と思うのかなと解釈していました。ところが・・・です。普通は、自分の担当していた仕事や、担当していたお客様への対応を指示して、自分がいなくても良いように、あとの憂いない状態で、辞めて行きます。でしょ?でもTさんは、色々なことをシークレットのまま、突然に去って行きましてね。いなくなってからの対応は、まだ仕事を続けている人たちにとって、混乱・困惑・・になりました。飛ぶ鳥。あとを濁さず。といいますが。たいそう後は濁ったというわけでして。あとあとまで、Tさんは、どういう関係性を自分で作っていたのか〜と思いました。まぁ・・・そんなに、仕事が嫌だったのか、職場が気に入らなかったのか、責任感なく働いていたのか。その後は。接触がなかったので、知る由もない。去った後の自分に対する他者の評価が・・・怖かったのか。後ろは見ない。ということだったのか。去る人に対して、人に悪口しか言われないだろう・・・も、ありますか?人は、この後、関わりがないとなったら今まで言えなかったことも、言う。こともあったりするし。どうなのだろう・・当人は見たくない。聞きたくない。知りたくない。ってココロを閉じてしまったのか。じっさいは、仲間にとっては高評価で、担当していたお客様にとっても、惜しい人〜でありました。ただ去り際の混乱を、Tさんは想像していなかったのかな。自分はそこで重要な人間ではないというように、自分を軽い存在としていましたか?自分が人生の一時期に、、、そこに、確かに居た。とは思いたくない?Tさん本人は自分に対しての評価が、低かった。自信がないと、いつも言っていました。そこを、ひとつ乗り越えて・・・評価に素直に向き合えば、違った展開があったのでは? と思いましたが。他者は、自分を正面から見直すための、鏡として使えるものなのです。どんな評価であれ。あれですねぇ。。そのとき、シンクロしたのは。死んだあと、閻魔大王の前に出て、自分の生涯を、自分の目で見せられる。良いこと、悪いこと、恥ずかしいこと、隠すことなど出来ない、すべて。を。。しかし、ねぇ。死んだあとで、見せられてもどうしようもないこと、でしょ?起きたことを見せられて、閻魔さんに、自分を正当化しようとしても、ダメでしょ?わたしたちは、つねにプロセスの中にいる。まだ結果はでていない。死なない限りね。どんな関係を作っているか。作ろうとしているのか。対人。ではなく、自分に対して、密接にどこまで深い関係を持つのか。みたいな感じがします。どこまでいっても、自分に、戻る。天にツバを吐けば、自分に降り注ぐ。
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