ずんだ日記

5年経った 

2016年03月07日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

5年の節目か震災を取り上げる番組多い。
あの時を思い返したことは少ないのでここで思い出してみる。

朝から悩んでいた私、納期は迫るしできないし。うーーん困ったと天井を見上げて目をつぶった瞬間頭の中に閃光が走った、気がする。その途端2階の床が波打ち始めた。ちょっと強い地震だな、すぐ収まるだろと、だがいっこうに収まらず壁の書棚から本が飛び出してきた。
「逃げてー」誰かが廊下で叫ぶ。やっとヤバイと気がついた者たちが階段を揺れながらおりる。この時は、これは公式な避難経路ではないのだがとか土足でいいんだっけなどと悠長な事を考えていた。
外に出ると既に逃げている者たちが(逃げ足はえー)駐車場に集まっていた。
「ゴオーゴオー」と地鳴りがする。
しばらく駐車場で幹部が話し合っていたが、解散し明日再集合することになった。まだ明日は普通に出社できると皆が思っていた。
そして仙台へ帰る3人を乗せ出発した。阿武隈川にかかる橋を渡る時遠い下流に白い波しぶきが立っているのが見えて、携帯のワンセグ放送で仙台空港の滑走路に津波?水が押し寄せてくるのを見た。
道路は渋滞でさっぱり進まない。信号機もつかないし。そうだ、高速だと向かったが入口閉鎖。じゃ海沿いの道だっと向かっていたら巻き込まれたろうな津波に。
元の幹線道路に引き返したが車はなかなか動かない。3人は降りて、歩道を行く多くの人たちに混じり仙台を目指すことになった。私は6時間程かかり22時に家に着く。いつもは1時間半の道程。

電気来ないのでファンヒーターやエアコンはつきません。照明もダメだが家に入ると緑の光。ディズニーランドで次男が買ったマイクのランタン。色が不気味です。すぐに納戸の奥にあるポット式石油ストーブを取り出した。電気が来なくてもマッチで火がつく。
続く、、、
#写真はネットから拝借。



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まさにこの日に

彩々さん

ごめんなさい。ずーさんのBlog今頃目にして
さかのぼって、読ませていただいてます。

日本人として、辛く悲しい思い出ですが
心して、読み進めてみます。

2016/03/11 06:02:14

ありがとう

さん

書いてくださって (^^)
言葉が合ってないかもしれないけど
本当に被災された方のお話を聞けるのは
とても 貴重なことです。 怖かったね。

2016/03/09 06:01:43

続きも

さん

読みます。
何にも言えませんが、勉強になります。

2016/03/08 08:02:55

おはようさんです

うきふねさん

yさん、みさきさんと同じく・・・
むねが痛みます。東北にはボランティアに
行けませんでした^^;
あれから5年になるんですね。
復興はまだまだと聞きました。
うちにも、災害用にとポット式石油ストーブを
置いていますが、いざと言う時に点くかな。

2016/03/08 07:02:45

ほんとうに…

みさきさん

ずーさんが、
海沿いの道を選ばなくて
良かった…

2016/03/08 04:32:44

ひとりごと・・・

さん

マスコミの計算された感動話ではなくて
実に重みを感じます。
阪神の際には恩師宅へと翌日に駆けつけたけど
被害を受けられた方と、どんなに大変だった道程を
走り抜けた自分とは雲泥の差を感じました。
TV観ながら大変ねとか言っている方には語る資格
さえ無いかな。
大変な経験をされた事も、このようにして淡々と語
られる貴兄の気持ちの大きさを感じます。

2016/03/07 23:46:10

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