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朱鷺の“人生七転び八起き”
愛がない時
2015年08月17日
テーマ:テーマ無し
考えることには、制限がなくて、どんな妄想も描ける。 でも、やがて、現実に対して「自分には無理、そんな能力はない」と 制限の中で「物質的な現実」にはめこんだ自分。 として〜生きていく。 そこそこ無理なく出来ることだけをするのみ・・・。 合理化して、納得させてとなっても、なんとなく抑圧していますから どこか吹き出し口がみつかると、噴き出す。かな。 批判的にモノゴトをみるなんて、そのあたりに 根っこがあるんじゃないかな。 夢絶たれた、痛み。 こういうのも、自分では気づきにくいのですね。 自分の痛みの照り返しだとは、思いつかないのよ。どうしても、自分正しいの場に居て 批判されるべき状況がある、としか見えないのだから。「自分には無理、そんな能力はない」って いつのまにか恐怖につかまってしまう。 大切な自分を真に守る方法を知らないくらい無垢。 すしこづつ、しらないうちに、刷り込まれる恐怖。 そうやって卑小化した自分を見透かされないように 対外的には、攻撃に入る。となりますか。 自分の弱さを見たくない。と同時に 弱みを見せると、付け込まれると感じる。 弱いから攻撃される・・・だから 強がって、大きく見せて、攻撃は最大の防御なのね。 その武器は、善や社会通念になりますか。 ほんとに・・・これは弱い人の武器。 それを背景にして、強がっている限り本当の自分は、見えてこない。自分が何をしているのか見ない。だから、まあ。愛がない時、恐怖がある、のね。恐怖があると、愛はない。
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