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歳を重ねても 

2014年11月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

我ら毎年の事である催し「34年の会」だが
今回で51回となる。


最初東京の方角さえままならなかった当時
上野の不忍池近く『東天紅』で開いたのが昭和38年
記念すべき第一回が開かれたのです。


昨日の集まりでその当時の話になり仲間を呼び
集めるのに苦労したと言われた。
参加者だって東京の一角に住み着き何処が何やら
分からないで一年を過ごしたはずなのです。


自分だって寮生活で生活は数百メートルが
普段の生活圏でしたから、其処から何処に
行くとしても先輩に連れられ出かけるのが通常、
一人でぶらり何て考えもしませんでしたね。


慣れれば何処でもいけるでしょうが、言葉や
身なりが街には馴染まない学生服でしたから
普段着は一二枚なので着飾ってなどとは思えません。


都会に来たのだから先輩に混じっても遜色なく
過ごせれば良いのだが、給料が低く買い物だって
思うように買えなかった。


そんな時代からもう五十年以上経つ、誰もが
老けた顔を並べ良く来たの〜〜と挨拶を交わし
宴会は始まった、一人去った話から始めた物で
幾分湿った開始と成ったが今此処にいる人は
体調も良く有るので続けて生活を楽しんでと話した。



集まれば当然田舎時代にタイムスリップする、
学生時代の話が話題だ、大抵農家の子供たちが多く
農繁期は駆り出されて手伝いに行ったのなど
泊まりに行ったのは無しは中学時代に変わっている。


話の腰を揉まないようにと自分はカメラマンを
買って出るので時折話には入るが東京育ちに近い親
だったので一線の幅が有ったようにも見られていた。


卒業して再び生まれた東京に来たが生まれて直疎開に
なり田舎生活で過ごす、姉か東京の景色を若干
有るようだった。


卒業した当時の生徒数は二百人近かった、分校も
有ったので田舎にしては多く子供が居たようでした。
先日会員名簿の書き換えをしたが、居場所を変えたり
連絡も不通だったりで半分近く成ってました。


70歳越えた仲間の捜索は簡単ではない、開催は
関東圏と田舎で分かれ二か所で開催している、どちらに
参加されてもいいのだ、丁度都合さえ合えばと成るが。



関東だと当然と言うと叱られるかも、どういっても
起点は上野駅でしたから集まれば上野なのです、
井沢八郎の「ああ上野駅」が宴会の途中に誰かが
謳い始め全員のコーラスとなる。


最後はウサギ追いしで締める。ふるさとは残っている
なのでこうして会える、お盆も会えるし34年の会でも
昔の顔を思い出させる笑顔もしわの中にでも逢える。



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