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朱鷺の“人生七転び八起き”

「したい」は「欲しい」の見せ掛け 

2014年05月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


「したい」について語ってましたが。そもそも「したい」とか。なぜ思うのか。ですね。「したい」という思いが、どこから来るか。自分のためになら、どんなことも、すぐする課〜色々な理由を作って。様々な言い訳をして。やりたいことは、やりますね。「したい」と、わざわざ意識するって〜つまりは・・・他者の為に、自分をどの程度を使うか。 という計算が入って来るってことね。 「したい」か「できないか」どうなのか・・・。 本当の自分の気持ちにアクセス出来なくなる。 それが葛藤? ってこと。 まぁ。自分が幸せにならない限り。 他者に、万全に幸せを与えようなんてね。思わないのね。 そこがまあ。マインドの姑息なトコロでして。 幸せ計算のものすごさ〜そこに不幸な人がいると、嬉しい〜なんてことも、微妙にあるわけよ。 そういう人になら、ほんのちょっとで済むからね。与えるもの。 ところが与えた分だけ、返ってくるという方程式から言うと。 わずかばかりしか、返ってこない〜 そこで「してやったのに」となったり。 しかも与えた人が幸せになったら、見捨てられたと感じたり・・・。押し付けなら、するなよ。報酬が欲しいんですか? って感じ・・・よね。 与えたつもりで、奪ってるなんてことも、やっぱ、あるのね。

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