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朱鷺の“人生七転び八起き”

事実をみれば「したいこと」だけに集中できる 

2013年03月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


パラダイムですが、これは、
「極めて個人的に常識として見ている世界」

見えている世界は、人それぞれ千差万別。

しかし。個人的なものだから・・・
で、済ませられないものでも、ある。

私たちは、一人で生きているわけではないからね。
人との関わりの中で、生活がありますから。

誰かのパラダイムと、自分のパラダイムが
ぶつかり合って、どちらも、引けない。
なんてことが、起きる。

そのとき・・・どうするか。

答えを単的に言うと
「事実を知っているか、いないか?」
というトコロに、立つ。

すると、なんとなく、冷静になれる。

そして
「お互いがグッドである」
観点の場に、移動する。

自分だけが・・・
相手だけが・・・

という解釈で、モノ・コトを見ていると
事実は、見えてきませんね。

「お互いがグッドである」ときに
事実に対して、無欲で向き合える。
向き合えるから、事実が見える。
とも、、、言えますか。


単純な構成から言うと
たとえば、満員電車の中で、老人に席を譲った。

このとき、相手から、感謝される必要はないのですね。
「譲ることのできた自分」であることに、
なーんとなく、言葉にならない豊かさを、得る。

これは、相手から拒否されることがあっても
ぜんぜん、関係ないんですね。

「感謝されたい」という要求があったら
目的がソコですから、満たされない可能性もある。
むしろ、拒否されるということで傷つくこともある。
それは全部〜自分の持つ「パラダイム」から起きます。

感謝されたいパラダイム。なのか
与えたいパラダイム。なのか
なのですね。

与えたら見返りが欲しいか
ただ与えたいのか。


まっ。みなアタマでは、理解しているのですよね。
見返りなく、与えることが、与えることだ、って。
だけどー知っているのと、出来るのとは違う。

「見返り」というのは、やったことの結果を確認したい。
というトコロからも、出てくる。
与えたものが、良いものだったか、悪いものだったか。

それをね。
どーしてか、確認したいのね。

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