にいたかやま

遅れて来たサユリスト 少女編 

2024年02月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

今、手元に映画の券がある。
昨年の、「九月七日 十一時四十五〜 こんにちは、母さん」とある。
小生には、映画鑑賞のそれを記念に保存する習慣があるのです。
いつもアルファベット順列のEまでの前列で鑑賞し、終了後、場所と時間を共にした友にエールを送るように、後ろを振り返るのですが、この時の光景が印象的でした。
まるで六十歳以上の貸し切りであるかのように、シニアワールドなのです。ブログサイトでこの映画の鑑賞記録を見つけると、反応は一律で、類は友を呼ぶ現象が存する。
ネットでこの映画の宣伝番組を見る。息子役の大泉洋の饒舌な事。終に、大パンチ発言「これからも吉永小百合の息子役は俺だ!!他の奴が現れれば決闘だ!!」
小生は苦笑してしまいました。彼は主演の吉永様、孫役の女優永野めいより勇ましく目立ってました。
劇場の客層が限られて、五十代、二十代に対する集客力がない。
小生は「サユリスト」という魔力に魅かれた。
図書館で三冊の貸し出しを受けた。「吉永小百合−夢一途」「吉永小百合私の生き方」「映画女優吉永小百合」
123本の出演映画をできるだけ鑑賞する為、ゲオとTSUTAYAのビデオショップと契約、ネットのユーネクストとも契約。

吉永小百合
1945 03 13日 東京渋谷に父芳之母和枝の次女として誕生。妹が翌年誕生。
1951ー小学校時代 校庭での映画上映会で高峰秀子主演の「二十四の瞳」に深く感動。小学五年生の学芸会で主役であるウサギのお母さんを演じる。
ラジオドラマ「赤胴鈴之助」に応募、一万人の中から女の子は藤田弓子と共に採用 偶然にも同名のさゆり役。
1957ー中学生時代 母親筋の東映、父親筋の日活から入社の話があり後者を選択。
映画俳優「吉永小百合」の誕生。

「制空権を喪失し、日本人無差別殺戮状況三月東京下町、四月山の手、吉永家界隈も焦土と化す。母君の和枝様は生まれたての女児を抱えて「乳をください」と叫びまわる日々だったそうである。
【戦いのさなかに生れて白百合の崇き気負いを持ちて生き抜け】ー和枝様の和歌                             小生は夢千代の里の隣村の出身ですが、ド田舎の故にアメリカ空軍による物理的な破壊は免れたようです。
小生は吉永様の三つ年下ですが、田舎の小学校での学芸会の思い出は鮮烈な印象があります。
ウサギの郵便屋さんになって「郵便です」と配達するだけなのですが、父母たちの歓喜、狂喜、熱気は感じました。

でもそれを源流として当時マスコミの主流だった、ラジオ・新聞に活躍の場を展開されるようになるとは、夢のようなお話です。
お父様お母さまのおぜん立てと、サユリ様の頑張りと才能のたまものです。
”選ばれしものに栄光あれ”」


 



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