にいたかやま

浜田光夫の事件と幸せ 

2024年03月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

小百合六十五作目「私、違っているかしら」がクランクアップした頃、小百合のパートナー浜田光男に運命的な事件が待ち受けていた。日活は純愛路線の集大成として、「愛と死をみつめての」姉妹版として、監督蔵原の「愛と死の記録」を画策して、クランクイン直前だった。

1966 07 25日 浜田光夫は葉山良二と二人で、愛知県蒲郡市の某アトラクションに出演し、主催者側と食事会後、二次会としてサパークラブで、飲み会を催すことになった。
先客が一組いた。浜田らは、仕事が終わった解放感から、リラックスしてグラスを重ねた。
葉山氏と連れ立ってトイレに行き、出てきた直後、先客の男の一人が、卓上スタンドを手に殴りかかってきた。
葉山は顔面血だらけになり、ガラスの破片が浜田の右目に刺さった。
最悪の場合は失明の可能性があったが、右目の視力障害にとどまった。
治癒までの小百合のパートナーとして、渡哲也が抜擢された。
浜田の復帰作品は「君は恋人」のタイトルで、芸能人オールキャストみたいな、捉え処がない作品でした。
年齢的に二十歳が過ぎ、青春純愛路線も、最終章でしょうが、運命とは過酷なものですネ。

1971 01 06日 浜田光夫は元タカラジェンヌの青園宴とハワイで挙式。
なれそめは、親友の高橋英樹が宝塚の熱狂的ファンで、その東京公演での溜り場となってたアマンドに招待され、彼女と知り合った。
浜田は草食系男子で、牛の咀嚼のような経過であったが、気質的に投合するものがあり、この運命の日を迎えたのでした。
所属のボス石原裕次郎に、結婚の決心の報告と仲人の依頼をすると「おお、そうか、よかったな、何でもやってやるぞ」と心から喜んでくれた。
ボスと石原プロは直ちに、式を挙げる教会の手配、披露宴のホテル、浜田の母親と花嫁の両親他著名人の招待をした。
おめでとうございます!!



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