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闘魚2 

2018年06月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:ある日のこと

柿田と闘魚へ(その2)

なぜ柿田はナマズを食べないのか。

柿田のこと。

柿田は日本の中堅水産会社の水産施設の担当部長だった。

担当部長というのは部下をもたない、いわばラインから外れた窓際的な存在である。

ところがその柿田に、プロジェクトの特命が下った。

タイ国に大規模な淡水魚の養殖場を建設するので、用地を確保するなど着手しろという。

養殖場の建設用地は、このアユタヤ近郊の小さな村であった。

養殖するのは「プラー・ニン」という食肉用の淡水魚で練り製品にして日本に輸出しようという計画であった。

プラー・ニンはエサの選り好みをせず、飼育がかんたんで、繁殖力も盛ん、しかも肉厚で美味であった。

プロジェクトでは、近隣の村々で小規模に行っている養殖を一ヵ所に集めて、処理加工場も併設して大規模生産しようという計画であった。

柿田はタイの弁護士と一緒に、村の集会所に村人を集め、説得工作をはじめた。

村人のほとんどは、これまで見たことのない大金が手にはいると知り、喜んだ。

柿田は本社へ「計画順調」と報告した。

養殖場は二年ほどで完成した。

柿田の仕事はここで終わるはずだが、本社からは、数年残留して、ナマズの養殖を実施しろという新たな辞令が出された。

ナマズの養殖は小規模であれば問題ないが、大規模となると難しい。

ナマズは小魚やカエル、エビなどをエサとするが、養殖となると、ナマズは共食いするので、エサの研究をしなければならない。

研究のさなかであった。近所の少女が、このナマズ養殖池の深みにはまって水死してしまった。

警察もきて現場検証したが、そもそも立ち入り禁止の場所であったので、会社はとがめられることはなかった。

そうはいっても、養殖池に柵があるわけではなく、会社の不備がないわけではないと柿田は思っていた。

あとで聞いたことだが、少女は養殖池の横に流れる小川にナマズをとりにきた。

病気がちの父親のために栄養価の高いナマズのカレーを作るといって出掛けたという。

少女は、村人の話によると、気のやさしい正直な子供で盗みをするような子ではないという。

柿田は事の詳細を文書にして、いくらかの見舞金を出すべきだと本社に伝えたが、何の反応もなかった。

やむを得ず柿田は、自分のお金を用意して、掘っ立て小屋同然の少女の家をたずねた。

少女の父親は何も言わずに見舞金を受け取った。

それから数週間後、少女の父親が柿田をたずねてきて、瑠璃色の小さなベタを持ってきた。

聞くと、生まれたばかりのベタだそうだ。

ベタは雄が吹き出した泡で浮巣を作り雌に産卵させるという。

父親の話では、この瑠璃色のベタは少女が死んだ日に孵化したという。

父親が語るには、屈強なベタだそうで、数年後には必ず闘魚のチャンピオンになるので、大事に育てて儲けてほしいという。

このことをきでかけに、柿田は村人たちと打ち解けて話すようになった。

柿田は、この村と村人のためには養殖場は必要ないと思うようになり、本社とも連絡をとらなくなり、辞表も出さずに、会社をやめた。

柿田は大学を出て何の疑いもなく「みんな」と同じ、サラリーマンという国や企業が敷いたレールにのった。しかしこの電車は一度のると、軌道を外れることはできなかった。

かつては統帥権という軍が敷いたレールに国民がのって国が滅びた。

柿田は現在の電車にのっていると、自分が滅びてしまうのではないかと思ってる。

柿田は電車から降りて軌道を外れ、サラリーマンでは考えられない「ギャンブラー」になろうと思った。

先を考えてのことでなかった。これまでとはちがった世界を見たかった。それから考えればよいと思っていた。



数年後、少女の父親からもらった瑠璃色のベタを瓶に入れて村の闘魚場に行った。

闘魚は村の一軒家で行われた。
(つづく)



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