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闘魚 

2018年05月29日 シニア・ナビブログ記事
テーマ:ある日のこと

柿田と闘魚へ(その1)


柿田と闘魚を見に行く。

柿田が連れていってくれたのはバンコク北の古都アユタヤであった。

バンコクの中央駅から列車でおよそ1時間半、アユタヤ駅に降り立つと、バンコクの極彩を塗りたくったような喧騒とはちがった、水彩画のようなやさしい風がゆっくりと流れていた。

列車がアユタヤに入ったのは夜だったので、柿田と駅前の「バンコク・カフェ」という名の店で食事することにした。

「カフェ」というのはコーヒーのことだが、タイでは田舎芝居のような舞台をもった食事も出す飲み屋のこともカフェという。

舞台では毎夜、極彩に着飾った女がルーク・トゥーンと呼ばれる農村の歌謡や、ルーク・クルンと呼ばれる都会の歌謡を、無表情に歌う。

男たちは隣に侍らせたい女が舞台に上がると、なけなしの金を花の首飾りに替えて女に贈る。花の首飾りは店が跳ねたあとで換金される。彼女たちの大きな収入源である。

バンコクカフェの店主は、バンコクのように絢爛華やかな店にしたいと願いをこめて命名したのだろうが、やって来る男たちや店の女たちは、そうは思っていなかった。

男たちはバンコクで一旗あげるためにここで充電しているのだと、さもしく言い捨て、北の村からやって来た女たちも、ここは渡り鳥が羽を休める止まり木で、いつも遥か彼方の都を探しているのだと、虚ろな目で言う。

柿田は歌う女たちにとりたてて興味があるようではなかった。

かといって、金で買った女たちを侍らせて、いっときのマハラジャを快楽するというふうでもなかった。

ぼくはバンコクのパッポン通りで添乗員に引率されて売春宿に列をなすように女を貪りにいく日本人観光客を思い出した。

それはまるで、交尾の快楽をめがけて小躍りしながら歩く野卑なサルのようであった。

あの光景を目の当たりにすると、誰もが少年のような潔癖感で身を包んでしまうにちがいない。

「よく来るんですか、ここに」
「まあね」

柿田は生返事しながら、人差し指を上げて店のウエイトレスを呼んだ。

カフェでは「職制」がはっきりとしていて、料理を運ぶのはボーイか新米のウエイトレス。古参のウエイトレスは新米よりも上等な制服で客のテーブルの横に立って客の世話をする。

「ホンを呼んでくれないか」

やって来たのは髪の長い女であった。

紺青のスパンコールをびっしりと貼りつめたタイトなワンピースで痩躯を包んでいる。四肢も彫刻のモニュメントのように凛々しく伸びて、清々しい。

柿田の横に座ると顔がはっきりと見えた。

ふくよかな表情をもつ唇に笑みを浮かべていたが、切れ長の澄んだ瞳はなごんでいなかった。

色を添えているのは唇だけのようだが、目鼻立ちはくっきりと際立ち、気の強さを内在しているようであった。

「ホンです、よろしく」

たどたどしい、すこし関西訛りの日本語で挨拶された。

ホンというのは愛称で「雨」の意である。

「だれかもう一人店の者を呼びますか」
「いや、けっこうです」
ぼくは手を横に振って断った。

柿田がホンに挨拶をうながした。

かんたんな自己紹介のあと、ぼくとホンは、タイ語と日本語と英語をカクテルしながら、運ばれてきたナマズの料理「ヤム・プラードゥック・フー」の話で盛り上がった。

タイ料理には日本人が好む「ヤム・ウンセン」(春雨と、イカやエビなどを和えたサラダ)など「ヤム」と冠されたものが多い。ヤムは「和える」の意だが、作り方を見ていると、日本料理の品のよい「和える」という動作ではなく、ぐにゃぐにゃにかき回すといったほうがふさわしい。

ホンおすすめの「ヤム・プラードゥック・フー」は、ふつうのヤム料理とちがって、プラードゥック(ナマズ)をヤムするわけではない。ナマズの身をフォークなどの先で突っついて身をたてて、一匹まるごと油で揚げる。

するとナマズの身は油のなかでフワッと盛り上がる。

これに香辛野菜などやカシュナッツなどをヤムしたものを付け合わせる。

名前の「フー」は文字通りフワッと膨れ上がる意である。

この「フー」には料理人のワザがあるようで、店によっては、ナマズが油でベッタリとしてしまったり、逆に揚げすぎて油カスのようになってしまうものもある。

ここのヤム・プラードゥック・フーは、皿の上でスポンジケーキのようにフワッと小山になり、揚げたてのナマズの歯ごたえも小気味良く、これまでに食べたもののなかでも最上級であった。

ホンはおいしいわねと微笑みながら、真顔に戻していう。

「柿田さんは、ナマズを食べないの「なぜ?」
(つづく)


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