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such is life
闘魚3
2018年06月02日
テーマ:ある日のこと
柿田と闘魚へ(その3)
闘魚は、アユタヤ市街から車で一時間ほどの小さな村の一軒家で行われた。
部屋の真ん中に30センチ四方ほどの水槽が置かれ、周りを血走った目の農民と思われる男たちや、首が曲がるほどの太い金のネックレスをした町の女、華僑系のでっぷりとした男たちが囲む。
ルールはいたってかんたんである。
ベタ同士が闘い、鰭をボロボロにされるなどして、戦意をなくしたベタが負けである。
勝負がつくと、胴元がが賭け金を分配する。
勝ったベタの主人には、賭け金のなかから大金が支払われる。
柿田は、少女の父親からもらったベタに、父親から言われた「ノック」と名付けた。ノックとは「鳥」の意である。
いよいよノックの出番である。
ノックの相手は、華麗なドレスのような尾鰭を、濃い紅赤色である。
頭部が大きく、鼻孔がやや盛り上がる。どう猛な牡牛「オックス」のような形相である。
ノックは紅赤のオックスに劣らぬ尾鰭をもつが、比して、体はふたまわりほど小さいが、強い意思を秘めた濁りのない目は鋭く、小瓶のなかで満を持す。
水槽に、小瓶のノックとオックスが同時に放たれた。
オックスはノックを威嚇しつつ、水槽のなかをゆっくりとまわる。勝利を確信し、リングで軽やかなステップを楽しむ、余裕のファイターのようである。
ノックは、オックスの目を見据えたまま、水槽の中央でゆっくりと瑠璃色の体を回転させる。
柿田が連絡したのだろう、バンコク・カフェのホンも来ていた。
ホンがノックを囃し立てると、柿田は「黙って見てろ!」と、高まる自分を抑えるように一喝した。
この一喝をゴングにしたのか、オックスがノックの尾鰭をめがけて矢のように走った。
ノックの尾鰭のつけ根あたりは破け、破片が瑠璃色を振りまいたように水に散った。
ノックは動じなかった。オックスの目を射るように、睨み付けたままである。
転じたオックスは、こんどはボクシングのジャブのように、ノックの華麗に舞う背鰭、傷ついた尻鰭、絹のように美しい尾鰭を食いちぎる。
ノックの鰭という鰭は、裂かれたカーテンのように水の中でゆらぐ。
それでもノックは、オックスを見据えたまま、口先を牡牛に照準したまま動かない。
オックスの第三弾、四弾、五弾と執拗な攻撃が続くが、ノックは何を考えているのだろう、ベビー級を相手にしたフライ級のボクサーのように、かろうじて攻撃をかわしているだけである。
「臆病者!」
ノックに賭けた男たちだろうか、ノックを罵りはじめた。
聞こえたのだろうか、ノックの瑠璃色の体がやや浮いたとたん、鋭い口先が矢尻となって、オックスの背鰭に飛んだ。
瞬間、オックスの背鰭は腕をもがれたように、ちぎれてしまった。
なんと鋭利で豪胆な攻撃であろう。
一瞬の無音のあと、うなり声のような歓声が上がった。
小さいノック「鳥」が紅赤のオックスを倒した。
柿田は小躍りして歓声をあげた。
「よくやった!ノック、ノック!」
ホンが柿田のところにやってた。
「柿田さん、この瑠璃色のベタは『ノック』っていうの?」
「そうだよ、ノックだよ」
「柿田さんが名付けたの?」
「ちがうよ」
柿田によると、少女の父親が、このベタを闘魚で闘わさせるときは「ノック」と名付けてほしいと言ったそうである。
「柿田さん!ノックって、わたしの名前よ!」
「ホンではないの?」
「ホンはバンコク・カフェで使っている名で、本名はノックよ」
「するとナマズ養殖場で事故死した少女は……」
「わたしの妹だわ。父は病で亡くなったけど、ベタのことは知らなかったわ」
「ぼくのところに、こっそり訪ねてきたからね」
「柿田さんがナマズを食べないのは、そのためだったのね。妹も喜んでいると思うわ」
「うれしいよ、ホン」
「バンコク・カフェのヤム・プラードック・フーを食べましょう」
「ありがとう、ホン、大好物なんだ」
(おわり)
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