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朱鷺の“人生七転び八起き”

鏡の中に見えるもの 

2016年02月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

さまざに起こる葛藤・矛盾・痛み。そこから抜け出すには、心が過去の影響から自由であることしかないでしょう。思考との同一化。というトリックが壊れ。ここが見えたら、ひと山越えた〜と思う。思考と感情に、振り回されて・・・なにかの体験という記憶がなければ、それに関連した感情は発動しないのですが。他者をジャッジする時は、過去の自分に・・・触れている。このような心の構造についても。「それは、他者のこと」だとなり「あの人は、こうだから」となる。人は、このように苦しむのです。こうであるから。。と頭では理解する。投影の構造については。とてつもなく「身震いするほどイヤなヤツ」なんてときは、それが自分だから、耐えられない。なのだ・・それが、ほんとに他者のことなら、耐えきれない嫌悪って、起こらない。と思う。あなたはあなたわたしはわたしなーんの関係もないなはずなのです。が。「コイツは最低でゲス!人としてダメ!!終わってる!!!」と判定したときは、本当に目の前の「コイツが」なのです。コイツが、コイツが、コイツががーー。大っきらい! ・・情けないほど・・・と頂点に達したとき「あっ。。コイツは自分だ」。。だから「無視できないんだ。叩きたくなるんだ」と。なりますよね。そしたら「コイツがーー」と言っている自分が、なんというアホかよ。。みたいな。。だけど。。そうならないで、いつまでも「コイツが」としている人がいる。その分かれ目は、いったい、何なのだろう?

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