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尺八と横笛吹きの独り言

まあだ、まだ……「奴踊りじゃ」よ…… 

2015年11月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●青森県民謡「嘉瀬の奴踊り」でまだ足踏みしている。
唄を覚えないと尺八での暗譜はできない。
唄を入魂するには時間がかかります。 
この歌詞を覚えるには写真のように、“屬らと屬泙嚢イな歌詞を選んで書いていく。
この唄は良く唄われる´番は小節ごとに同じ旋律とリズムですが……
困ったことに「字余り」の歌詞があります。
それは私の場合はH屬鉢と屐△気蕕忘い辰燭海箸砲蓮∋?召蠅劉H屬鉢と屬任呂泙唇磴い泙后

……民謡ではこういうことが時々ありますね。
西洋音楽ではおそらくこういうことはないでしょうに……
,鉢△脇韻絃節に収まるが、は収まらない「字余り」、さらに収まらないと屐

●たくさんある歌詞でつぎの4っつを選択。
,気,気海譴ら嘉瀬の奴踊り踊る さぁさこれから奴踊り踊る (ソラ ヨイヤナカ サッサ)
嘉瀬と金木の間の川コ 小石流れる 木の葉コ沈む
0雕淵團ピカ雷ゴロゴロ 意気地なしオヤジ 薔薇(バラ)株サひかかって千両箱ひろた
っ櫃寮擇蠍?轡灰織鵐灰織鵑離淵潺淵澆燭辰廚衫まりし水は 飲めば甘露のコリャ味がする
これは、体で覚えるしかない。

「字余り」のH峅阿筬と屬脇睛討おもしろく調子よく覚えやすいかもしれない。
確か富山県民謡の「麦や節」にも字余りがあったような気がする。
まったくもって、日本民謡とは千変万化融通がきく唄ですな。
歌詞はhttp://www.tachineputa.jp/sightseeing/pickup_01.htmlより転載しました。

●囃し言葉の「ソラヨヤナカサッサ 」
 は……「そりゃよいじゃないか、さあさあ」の意味。
http://croce.fc2web.com/onomatopee/aomori.html
●嘉瀬の奴踊り
津軽の金木町嘉瀬に伝わる盆踊り唄で起源は南北朝時代というから、たいそう古い話。
嘉瀬に逃れた南朝側の鳴海伝之丞を慰めようと、下僕の徳助が唄い、踊ったのが始まりという。

 
●青森県で、津軽と南部とでは今でも仲が悪い?
昔の青森は全部南部藩でしたが、南部藩の家臣が謀反をおこし、津軽地方で津軽藩を作った。
豊臣秀吉の「服従の挨拶に来ないものは討伐する」という命により、いちはやく津軽藩がこれに応じた。
遅れを取った南部ご本家は、謀反津軽を討伐しようにも、豊臣の臣下になった津軽を討伐できなくなった。そして堂々と津軽は豊臣の後ろ建てで独立を勝ち取った(秀吉に公認された)。
津軽の先見力はすごいが、ご本家の南部藩は面白くないなあ。
勝手に謀反を起こして、とっさに秀吉に尻尾をふった津軽が憎いはずだ。
青森県に統一されたとき、敵同士がいっしょにさせられ……どうもいまでもぎくしゃくしているのだという。ほんとかしら?

●昔……戦国時代後期、南部晴政は広大な地域を征服し、現在の青森・岩手両県の大部分を領有していました。
晴政の晩年に南部氏の家臣もしくは一門とされる大浦(津軽)為信が、養父の代に南部本家に征服されていた為に独立を図り、地盤の津軽で自立しました。
これ以降、南部と津軽は対立して行くのですが、南部側の内紛もあって津軽征伐が遂に出来ませんでした。
豊臣秀吉が小田原攻めを始めると、関東・東北の諸大名に「服従の挨拶に来ないものは討伐する」旨の布告をし、この時に津軽が南部より早く出向いた為に津軽の独立が公認され、南部は津軽を追討できなくなりました。
これは徳川幕府にも受け継がれていきます。
明治になり、廃藩置県が行われると、弘前県(津軽)、黒石県(津軽分家)、斗南県(旧会津藩・旧南部藩領の最北部に移転)、七戸県(南部分家)、八戸県(南部分家)、館県(松前藩代替地)が成立、後に合併して弘前県(後に青森県)となります。
(二戸郡はさらに後に岩手県へ)
西部の津軽系と東部の南部系の住人はまさに仇同士が同居するような物になって現在でもまとまりがありません……とのこと。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210157797
津軽藩と南部藩
http://route4osor.exblog.jp/21366520/より画像転載しました。

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