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下町を歩く 

2015年10月28日 ナビトモブログ記事
テーマ:散策&ウオーキング

一度は歩いて見たいと思って居た場所へ
ウォーキング仲間12名で歩いてきました。

下町情緒を醸し出す上野からスタートし
不忍池の外周からと乗り場方向へ進み、竹生島に
見立てた弁天島に入りました。

階段を上がり清水観音の舞台に立ち(月の松)から
弁天堂を眺めた。可なり無理がある様だが丸めた松が
印象的だった。

歩きは上野御社公園へとなり、西郷像を見てから
精養軒方向に大仏を見たりしながら昔の建物が
有った案内板なども眺めた。

時折東京大空襲の悲惨さを忘れずと書かれた
石碑には林屋三平さんの奥さん海老名佳代子さんの
寄贈と刻まれていた。


時の鐘、など当時を忘れさせないようにとさせる
工夫が多く歩けば必ず目に留まってしまう。

東京国立博物館を正面にし左へと進んだ、東京芸大に
入る、お昼の小判は学食で済ませることにした。


生徒さんの懐に合わせた低価格のメニューです、
簡単に済ませ生徒さんに邪魔をしないようにと
出る。再び国立博物館方向に歩き、立派な御門
池田屋に立ち寄る、中には入れませんので道端から
見物した、博物館の外周から寛永寺と向かう。


徳川家の墓が一角にあるが、この墓地には一般の人は
入れず檀家のみでまして徳川家の墓地は誰も受け入れられない。

この辺にあると地図で説明された、最近の篤姫が
テレビで取り上げられたドラマから家定より篤姫の
方が人気で案内板にも書かれている。


寛永寺の墓所は広く谷中へと繋がる、先ず立ち寄りは
徳川慶喜公の墓石へ歩く道案内が建っているので
誰もが辿り着ける。


囲いの外からの見物の成るが人気は一番で有った、
こんもりした石とセメントで固められたお墓、
廻りにはいくつかの墓も並んでました。


歩きは日暮里駅方向に進み大正寺に入る、寛永寺と
二分するともいわれる寺だとか、足は谷中の街に
入った傾斜の緩いだんだん坂がある、正面は
谷中銀座です。


巣鴨の場所とは違う、こちらは若者向け?なのか
多く見られた、店その物は昔風で味わいが有る。

コースは路地に入って歩く、昔川だった場所を路地に
した蛇みちが存在する、ブラタモリにも出た道です。
老舗の店が有ったりでつい立ち寄りたくなる店が
多く有った。


指人形の笑吉さんはオリジナルの本人の置物を
作ってくれる店でもあった、写真を提出すれば
4万円と高価だが自分の置物が作ってくれる。


外人旅行客に人気の「沢の屋」も見た、格安で宿泊が
出来通った時異人さんが出てきた、歩きは根津へと
向かう。


向ヶ丘弥生町には古代遺跡の弥生式土器が出た場所
だとか書かれていた、町名の名前からして
弥生町はその昔を忍ばせている。


そして根津神社に入った大鳥居から進み方向は
千本鳥居に進んだ朱色の鳥居を首をすくめながら
歩く、乙女稲荷神社です。境内を散策する静かな
場所でした。


歩きは12km設定で残りは東京大学に行く、
工学先端技術の建物へ入った玄関に先ほどの
弥生式土器が発見された場所の位置が分かるようにと
玄関の路面に色を変えて敷き詰められていた。


当時は今建っている傍まで海が有ってその近くでの
生活から伺える様だ、明治に入っても考古学が浸透
せず縄文から弥生に変わったと考えた物は居なかったともいわれてました。


関心しながら最後は下町から考古学へと変わりましたが
充実した歩きは出来た。今回の歩きには古い話に精通するリーダーが居たため上野からの歩きを計画でした。

http://www.ikkojin.net/websp/tokyo-map/list.html



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