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尺八と横笛吹きの独り言

箏曲・七小町(ななこまち)から小町を探る 

2010年12月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

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●小野小町というのは本名ではありません。<br />
「小野家の美女」という意味のニックネームです。<br />
さて、この箏曲「七小町」(ななこまち)は都山流師範試験の55曲中の1曲です。<br />
 写真のような聡明な男をとりこにする美女だったようだ。<br />
<div class="alignCenter"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/786422/img_786422_51416747_0?1292328054" alt="イメージ 1" class="popup_img_350_400"></div><br />
この曲はヒの大メリが多く、えらい早いとこはまだとても出来ない。<br />
課題曲はまず外堀から攻めていくのがfue流。小野小町について検索スタート。<br />
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●彼女の生誕地については、現在の秋田県湯沢市小野(旧雄勝郡雄勝町小野)という説が主流となっており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っている。が、小野小町の真の生誕地が秋田県湯沢市小野であるかどうかの確証は無い。この他にも福井県越前市とする説、福島県小野町とする説、生誕伝説のある地域は全国に点在しており、数多くの異説がある<br />
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)<br />
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●彼女を知る資料は古今集の歌だけですので、どの女性なのかと、昔から色々推察されています<br />
六歌仙・三十六歌仙にも数えられる才能あふれる歌人。その一方では、類希なる美貌の持ち主として、数々の浮き名を流したと伝えられます。自分に思いを寄せる深草少将を、百晩通わせる説話はよく知られるところ。このほか美男として名高い在原業平の求愛を、鉄火のごとくはねつけたとか、死して髑髏(しゃれこうべ)を野辺にさらした髑髏(しゃれこうべ)小町の逸話など多種多様な伝統をもち、彼女縁の地も全国各地に点在しています。小野小町とはどんな人物であったのかその本当のところは今もって歴史の謎とされています。しかし彼女が残した歌の世界に思いを馳せ、伝説の地を歩いてみれば、もしかしたら誰も知らなかった小野小町に出会えるかも知れません。<br />
 <a href="http://www.town.ono.fukushima.jp/on_top/on_gaiyo_komachi.jsp" target="_blank">http://www.town.ono.fukushima.jp/on_top/on_gaiyo_komachi.jsp</a><br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/786422/img_786422_51416747_1?1292328054" alt="イメージ 2" class="popup_img_311_400 clearFix alignRight"> <br />
●さて課題曲の「七小町」はどういう曲なのでしょう?<br />
この歌詞は言葉遊びだね・・・・深い意味はない。<br />
「ももよかよいもことわりや」で、『通(かよい)小町』という題名の謡曲のことに触れ<br />
「ひのもとなれば てりもせめ さりとてはまた あめがしたとは」で『雨乞(あまごい)小町』の謡曲に触れている。小野小町の謡曲名を言葉の中に遊ばせているだけだ。<br />
「したゆくみずも あうさかの」で『鸚鵡(おうむ)小町』を触れているが、ここがきついダジャレのお遊び。<br />
あうさか(逢坂)の「おう」でオウ(おう)ムのオウにかけている。きついダジャレのような言葉遊び。ここはきついですな。<br />
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●ところでこの「鸚鵡(おうむ)小町」の謡曲のあらすじは・・・・<br />
百才の乞食となって関寺辺をさまよう小野小町。陽成天皇の勅使から「雲の上はありし昔に変わらねど見し玉だれの内や床しき」の御歌を賜り、即座に「内や」を「内ぞ」とたった一字変えて返す。鸚鵡返しの作法をみせた才媛ぶり。<br />
つまりオウム返しに歌を返したいわれを謡曲にとりいれている。<br />
 美女は伝説となって様々に、大げさに逸話が伝わり七つの謡曲になった。それをこの七小町では歌っているのだ。<br />
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●七小町(ななこまち)  <br />
光崎検校作曲(三 絃)   船坂三枝作歌 八重崎検校  (箏編曲)<br />
六歌仙の一人小野小町を歌ったもので歌謡からとられています。<br />
八重崎検校は京都の人で三味線作曲を箏に移し、替手式に作曲した 京もの合奏     の大成者です。<br />
平安時代の歌人であり絶世の美女であった小野小町についての七つの能の題名を読み込んだものです。少々言葉遊びの要素もある歌詞です。実に上手い具合に七つの能の題名が読み込まれている。<br />
関寺小町 (せきでら)・鸚鵡(おうむ)小町 ・卒都婆(そとば)小町・ 通小(かよい)町・ 草子洗(そうしあらい)小町・ 雨乞(あまごい)小町(高安小町) ・清水(きよみず)小町<br />
● 歌詞   <br />
 蒔かなくに 何を種とて浮き草の 浪の畝々生い茂るらん <br />
草紙洗ひも名にしおふ その深草の水の少将が 百夜通ひもことわりや <br />
日の本ならば照りもせめ さりとては又天が下とは 下ゆく水も逢阪の<br />
(二上がり)<br />
庵へ心関寺の うちもそとはも袖褄を 引く手数多の昔は小町<br />
今は恥し市原の 古跡はきよき清水の 大悲の誓ひかがやきて<br />
(手事)<br />
曇りなき世や 雲の上は 在りし昔にかはらねど 見し玉簾の <br />
うちや床しき うちぞゆかしき<br />
●読み方<br />
まかなくに なにをたねとて うきくさの なみのうねうね おいしげるらん<br />
そおしあらいも なにしおう( 愾雹羸(そうしあらい)小町』) そのふかくさの しょうしょうが ももよかよいもことわりや(◆慊(かよい)小町』)<br />
ひのもとなれば てりもせめ さりとてはまた あめがしたとは(『雨乞(あまごい)小町』)<br />
  したゆくみずも あうさかの(ぁ懴戚(おうむ)小町』)<br />
(二上がり)<br />
いおりへこころ せきでらの(ァ愆愡(せきでら)小町』)うちもそとばも そでつまを<br />
(Α愨甘稠(そとば)小町』)ひくてあまたの むかしはこまち いまははずかし いちはらの <br />
こせきはきよき きよみずの(А慇郷(きよみず)小町』) だいひのちかい かがやきて<br />
(手事 三下がり)<br />
くもりなきよや くものうえは ありしむかしにかわらねど みしたまだれの <br />
うちやゆかしき うちぞゆかしき<br />
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●解釈<br />
 まかないのに何を種として浮き草は畑の畝(うね)のように盛り上がった波に生えて茂るのだろうと謡曲草子洗でうたった草の名のついた深草の少将が百夜も小町のもとに通ったのも道理である。<br />
日の本といえば文字の通り、日光が照りもするだろう。それはそうとして 天の下といえばその下を流れていく水の逢うという逢阪(おうさか)の<br />
(二上がり)<br />
庵へ心がせかれて行く関寺の、<br />
内や外にある卒都婆(供養のために墓の後ろに立てる板・そとば)に 小町が腰を下ろせば、その袖褄(そでつま)を引く手がたくさんあった昔であった。然し今は老い衰えて恥ずかしく 市原の里にこもり古跡も清い清水寺の観音の御利益は、輝いて<br />
(手事 三下がり)<br />
雲のない世に殿上に仕えていた昔と変わらないが<br />
以前見た御殿のみす(すだれ)が懐かしく思われる。<br />
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<br />
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七小町(ななこまち)とは、小野小町を題にした七つの謡曲(能楽作品)の総称。以下の通りである。<br />
関寺小町 ・鸚鵡小町 ・卒都婆小町・ 通小町・ 草子洗小町・ 雨乞小町(高安小町) <br />
清水小町<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/786422/img_786422_51416747_2?1292328054" alt="イメージ 3" class="popup_img_400_400 clearFix alignLeft"> <br />
●この曲の【背景】を探ってみよう。<br />
▲ 蒔かなくに 〜雹卆?町<br />
 宮中で歌合せが行われた時、小野小町は「水辺の草」という題で大伴黒主(おおとものくろぬし)と歌を競うことにな<br />
った。黒主は名高い小町に勝つ自信がなく、小町の私邸に忍び込み、小町が歌合せで発表する歌を吟じているのを盗み<br />
聞く。それは、「蒔かなくに何を種とて浮き草の波のうねうね生ひ茂るらん」という歌だった。黒主は、これを万葉集<br />
の中に書き込み、歌合せの当日、小町の歌を万葉集からの盗作だと訴え出る。しかし小町は黒主の計略を見破り、万葉<br />
の草子を洗うと、黒主の書き込んだ新しい文字は全部流れ落ちてしまった。(謡曲『草子洗』)<br />
▲深草の少将が、… 通ひ小町<br />
 深草の少将が小野小町に、百夜通えば思いをかなえてやると言われ、徒歩はだしで九十 九夜まで通ったが、百夜目に<br />
 病死したという伝説。(謡曲『通(かよひ)小町』)<br />
▲ことわりや 1乞小町<br />
京の都の神仙苑は弘法大師が雨乞いをしたことで有名だが、そこで小野小町も雨乞いをしたという伝説がある。その<br />
雨乞いのために詠んだのが次の歌とされる。<br />
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▲逢坂の庵へ心せき寺の ご愡?町<br />
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 百歳を越えた老女となった小野小町が、七夕の夕暮れ、星を祭る関寺の境内に現れ、人々の前で、自分の若き日の思<br />
い出を歌いながら舞う。絶世の美女の変わり果てた老残の姿を人々が哀れにも痛わしい気持ちで見守る中、小町は一人<br />
さびしく、山陰の藁家(わらや)へと急ぎ帰って行く。(謡曲『関寺小町』)<br />
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▲うちも卒塔婆も ヂ甘稠漫覆修箸弌望町<br />
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 これも百歳に老い衰えた小町が乞食となり、卒塔婆の上に腰を下ろしていると、通りかかった旅の僧に咎められ、宗<br />
教問答をする話。深草の少将の逸話も挿入されている。(謡曲『卒塔婆小町』)<br />
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▲清水の大悲の誓ひ輝きて 清水小町<br />
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 老残の身をみすぼらしい草庵に隠していた小野小町のもとに、在原業平が訪れ、仏に帰依せよと諭して消える。小町<br />
は、これは観音菩薩の教えであると悟り、流浪して、陸奥の玉造小野の里にたどり着き、そこで命を終える。業平は陸<br />
奥に下り、小野のすすきの原に小町の跡を弔うと、「くれごとに秋風吹けばあさなあさな」と声が聞こえた。業平は、<br />
「おのれとは言はじ、すすきの一むら」と下句をつけた。すると、どこからか小町の亡霊が現れて、業平に後世の弔い<br />
を頼み、消え失せた。その後には草むらに、白骨と一むらの薄が残るばかりであった。(お伽草子『小町草子』)<br />
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▲雲の上、ありし昔に 鸚鵡小町<br />
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 年老いた小野小町が百歳の老女となって近江の国関寺のあたりにさすらっているという話を聞いた陽成院が、<br />
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○宮中は、かつての昔と変わっていないが、<br />
○あなたは、昔見慣れた玉簾(たまだれ)の内裏(だいり)(御殿)がなつかしくありませんか?  <br />
  という歌を贈った所、小町は即座に、次の歌を返した。<br />
○宮中は、かつての昔と変わっていないが、<br />
○私は、昔見慣れた玉簾のうちぞゆかしき(「や」を「ぞ」にオウム返しで即答えた)<br />
 (謡曲『鸚鵡小町』他)<br />
<a href="http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/nanakomachi.htm" target="_blank">http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/nanakomachi.htm</a><br />
<a href="http://minori.s289.net/article/102121538.html" target="_blank">http://minori.s289.net/article/102121538.html</a><br />
<a href="http://www.jpkameya.com/sub7/22.htm" target="_blank">http://www.jpkameya.com/sub7/22.htm</a><br />
<a href="http://bijinga-ponpokopon.blog.so-net.ne.jp/2006-11-07" target="_blank">http://bijinga-ponpokopon.blog.so-net.ne.jp/2006-11-07</a><br />
</div>
<br />
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●追加<br />
小野小町の作品(歌)<br />
歌風はその情熱的な恋愛感情が反映され、繊麗・哀婉、柔軟艶麗である。『古今和歌集』序文において紀貫之は彼女の作風を、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、なよやかな王朝浪漫性を漂わせているとして絶賛した<br />
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを<br />
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花ぞありける<br />
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる<br />
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ<br />
かぎりなき思ひのままに夜もこむ夢ぢをさへに人はとがめじ<br />
夢ぢには足もやすめずかよへどもうつつにひとめ見しごとはあらず<br />
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき<br />
秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなく明けぬるものを<br />
人にあはむ月のなきには思ひおきて胸はしり火に心やけをり<br />
今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり<br />
秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば<br />
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より<br />
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