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尺八と横笛吹きの独り言

日本はこの悲しみの底から立ち上がれるのか・・・・不安。 

2015年03月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●東日本大震災の写真から・・・・http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/061f7874c5973d38c606240fb1c99b4eより転載しました。 
写真を見て。悲痛な嗚咽が聞こえてくる。自分はただただ傍観者・・・・何もできないもどかしさ・・・・

2015年3月11日、東日本大震災の発生から4年となった。前日の3月10日は70年前に東京大空襲があった日だ。4年経っても遅々として進まない復興。仮設住宅にいる不安、福島原発で汚染され住み慣れた故郷に帰れない不安。地域の破壊、生活出来ない不安・・・・「日本はこの悲しみの底から立ち上がれるのでしょうか・・・・」
今日のテーマは重い。
ただただ傍観者で・・・・記事を転載しているにすぎないが・・・・それを記事にしたからと言って・・・・この山積みの課題を解決できるわけでもない。
「オーイ日本!・・・・ガンバレ!ガンバレ!」・・・・と言っても、そんなに頑張れるものでないよ。
今日の朝の連続テレビドラマ「マッサン」は敗戦ショックから立ち上がり「しばらくはウィスキーの生産をやめて・・・・」「会社の敷地で農業をする」と宣言した。
「悲しみの底から立ち上がりだした」・・・・今の日本国にはそれができるのだろうか?
希望が湧いてくる見通しは出てくるのだろうか。不安なのですよ・・・・         ●2015年3月11日現在
東日本大震災の発生から4年となり、警察がこれまでに確認した死者は1万5891人、行方不明者は2584人、死者と行方不明者を合計すると1万8475人となっています。また、避難生活などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、岩手・福島・宮城3県で3244名、「関連死」を含めた震災による死者と行方不明者は、少なくとも2万1668人に上っています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150311/k10010010861000.html
日本大震災による。岩手県、宮城県、福島県では今でも約8万人が仮設住宅での生活を続けている。避難者の総数は22万8863名になる。
   

 
●4年前、東京の勤務先でも職員室はこんな状態でした。
写真はfueが撮ったものです。地震があってもカメラは離しませんでした。
この日は自宅に帰れず学校に宿泊しました。寝られない夜だったなあ。
昨日の4年目の東日本大震災宮城県の遺族代表の菅原彩加さんの挨拶には涙した。
がれきに埋まった母親を助けられない・・・・母は娘に「行かないで・・・・」
「お母さんありがとう、大好き・・・・」と伝えて近くの小学校に泳いで行った。消えることのない悲しみ。至るところでこういう別れがあったのだろう。

 
●仮設住宅
仮設住宅で暮らす東日本大震災の被災者は、いまなお約9万5千人います。岩手、宮城、福島3県で被災者が暮らす約4万4000戸のプレハブ仮設住宅を取り巻く環境が悪化しています
移転先の造成の土地収用が進まず、2月前に被災自治体の声も聞かず空白の2年8ヶ月が経過しました。

ようやく、「土地収用特区」に認定されたのは、2ヶ月前です。これから高台移転の工事がようやくはじります。

なので、公営住宅建設にはまだ2年以上の時間を要し、避難生活の長期化は避けられないのが実情です。

しかし、仮設住宅では入居当初からの不便に加え、“老朽化”が問題になっています。
写真はhttp://blogs.yahoo.co.jp/meg060104/11662408.htmlより転載しました。
故郷や自宅に帰れない・・・・長年先祖代々住んできたその土地に帰れない・・・・無人化した町。・・・・ただただ、ため息がでる。

東日本大震災後に起きた福島第一原子力発電所の事故により、立入禁止区域となった福島県双葉郡。震災の傷跡や無人と化した町の様子に言葉を失うとともに、原発事故により故郷を追われた人々の姿に胸が締め付けられる。
311後の原発事故により、「立入禁止区域」、地震や津波が残した傷跡、住民が避難して無人と化した町の光景にがく然とする。


●平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と地震に伴って発生した津波によって、東京電力(株)福島第一原子力発電所の1〜4号機は全ての電源を失いました。そのため、電力が得られない状態と地震発生時に運転中だった原子炉では燃料を冷やすことができない状態が長時間にわたって続きました。そして、2号機では原子炉圧力容器が破損、1、3号機では原子炉で発生した水素の爆発により建屋が大きく破損、定期検査中で運転していなかった4号機では3号機から流入した水素により建屋が破損し、大量の放射性物質が環境中に放出されました。http://www.jaero.or.jp/data/02topic/fukushima/

●中間貯蔵施設の土壌処理
東京電力福島第1原発事故による除染の廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設について、福島県の内堀雅雄知事は24日、建設予定地の双葉町の伊沢史朗町長と大熊町の渡辺利綱町長らと福島市で会談した。終了後、内堀知事は「福島県の除染を推進し、環境回復に向けてできる限り早急に除去土壌を処理する必要がある」として、施設への廃棄物搬入受け入れを表明した。
 http://www.sankei.com/politics/news/150224/plt1502240047-n1.htmlより転載


 
●東京大空襲のこと。
70年前にも悲劇がありました。
本所菊川橋 1945年3月10日体験証言者・元木キサ子 10歳
「私は両親と末の弟を亡くした。防空壕に入っていると火の手が近くまで迫ってきて、強風と火の粉が渦巻く中、ただ夢中で走って逃げた。気付くと薄暗い公園(猿江恩賜公園)にたった一人で立っていた。
朝になって家に帰ろうと菊川橋の方へ歩き出したが、道のあちこちに真っ黒になった焼死体が転がっている。何とも形容しがたいどろーんとした大きな大きな朝日が昇ってきた時の印象は強烈だった。
体験者の証言による連作画 狩野光男・画(東京大空襲訴訟を支援する会・提供)を転載しました。
写真はhttp://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/061f7874c5973d38c606240fb1c99b4eより転載しました。

●東京大空襲(とうきょう だいくうしゅう)
第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を与えた。空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされる。
東京は1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空襲を受けたが、1945年(昭和20年)2月26日,2月28日特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲を指すことが多い。この3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
前述の地震や津波の自然災害でなく、戦争とは愚かなものだ。

東京大空襲は第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた。被災家屋約27万戸に及¬び、太平洋戦争における民間人の犠牲としては、沖縄戦や広島・長崎への原爆投下となら¬ぶ最悪の被害を受けたのだ。なぜ東京大空襲以降の日本爆撃が無差別爆撃という極悪非道¬の未曾有の大殺戮作戦に変貌したのだろうか。

●朝連続テレビドラマ「マッサン」
跡継ぎと期待され、エマから想いを告白された直後に一馬は出征。しかし一馬は 戦死する。
遺骨の中味は名前が書いた紙切れ1枚・・・・これが戦争か・・・・
誰も自分の考えを言えない戦時下、国民を鼓舞するウソの放送・・・・、様々な統制の社会に変ぼう。非国民と言われぬ行動に走る国民、戦争にいく青年を「バンザイ」と言って送り出す社会。日本を神国として絶対に勝つと信じる国民。竹やりやバケツリレーで鬼畜米兵と戦う。
そんな日本に・・・・また・・・・ならなければよいが。
なにを言いたいのかわからなくなったが・・・・自然災害と戦争は恐いなあ。

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