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尺八と横笛吹きの独り言

正調刈干切唄 

2014年06月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●正調刈干切唄の都山譜での採譜 
6月20日のゲストブックで原田三郎さんという方から「正調刈干唄の尺八譜面が欲しいのですがわけていただけますか?」との要望がありました。
これが作成しました都山譜です。汚い手書きですがご参考にして下さい。



採譜しましたのは都山譜ですので、原田さんが琴古の場合は都山「ハ」は琴古「リ」に変更、都山「ツのメリ」は琴古「ツの中メリ」に変更すればいい。
 ●譜面はあるようでないような、譜面で表すのがむずかしいのが竹ものの譜面です。
譜面化しにくく、ある程度唄が体に入魂できればあとはアドリブで吹いています。
ですからいい加減なものです。まずは唄を覚えていただき、それに譜面を後付けするしかありません。河童さんの譜面や琴古の譜面、自己流琴古譜を参考にしまして、自分で唄いながら入魂してある唄を譜面に採ったものです。
●「ツのメリ」音が入ります。これを私は「ツの半音」としていた節があります。
河童さん譜面をみましたら「ツの半音」でなく「ツのメリ」音でした。微妙な違いですが、やはり、「ツのメリ」音が正解ですね。

●歌手によって、地域によって微妙に違います。(めんどうですね)
前奏は「これだ」という決められたものはなく・・・・各派、師匠、個人によってまちまちです。私の前奏は師匠からの受け売りで単純で簡単な前奏です。これまた米谷先生(ユウチューブに出ています)のはもっと格調が高い前奏ですね。私のは全国版でなく市民会館レベルの個人的なものです。

●「刈干切唄」と「正調刈干切唄」の違い
九州の高千穂の町で唄われているのは「正調刈干切唄」で、日向一帯で唄われている正調とつかない「刈干切唄」は奈須美静(民謡研究家)が編曲して整えたものである。
・「正調刈干切唄」では「♪ここの山のオオ・・・・」という力強い陽旋律で展開する。
・「刈干切唄」では「♪ここのオオオ山のオオ・・・・」と「ここのオオオ」の「オオオ」で陰旋律に展開する。ここからが「正調」と「正調でない」と境目だ。
哀調があるのは「刈干切唄」であろう。どちらかと言えば私もこちらの方が好きである。
この区別がむずかしく、尺八を吹くほうも・・・・リクエストされたら「正調」ですか「正調がつかないおほうですか?」と再確認している。
●一般的には民謡は歌手等により全国版に広められたものが流行する。それが広く行き渡ると地元の方がだまっていない。あれは本当はこういう唄です。・・・・といって後から地元版が出る。そしてこれに「正調」という冠をつけている。
「○○ラーメン」も出回ると、後から「元祖○○ラーメン」という看板が出現するのと同じだ。

●「刈干切唄」についての賛美と解説
・高度な文学性を持つ歌詞と上品で哀調のある節まわしは全国的にもゆびおりのすぐれた民謡と激賞されている。

・日本人の好きな民謡として江差追分につづいて、必ず三本指に入る代表的な民謡。

・神話のふる里高千穂には古くから唄い伝わる民謡。刈干切りとは冬の間牛馬の餌にするため初秋から晩秋にかけて背の丈ほどの山々の草を大鎌で切り、束にして積み上げ保存する農作業のことである。「刈干切唄」はこの作業のときに唄われてきた農家の人々の労働歌である。昔のきびしい生活の中から生まれた哀調のメロディは高千穂ならではの素朴さがある。http://www.kumaya.jp/atikoti75.html

・高千穂地方を中心に、阿蘇の外輪山一帯で歌われている労作唄で、大きな鎌で秋の山々の斜面などに生い茂る萱や笹を刈る時に歌われる、哀愁に満ちた寂しくも山に働く農民の心情を心憎いばかりに表現した美しいメロディーである。これらの萱や笹を干して、冬の家畜の餌・秣(まぐさ)にするところからこの名がついたと言います。
http://www.jamn.co.jp/~press9/info38.html

・宮崎県臼杵郡高千穂地方で民家の屋根にふく萱(かや)を刈るときの作業唄。高千穂の町で唄われているのは「正調刈干切唄」で日向一帯で唄われている「刈干切唄」は奈須美静(民謡研究家)が編曲して整えたものである。刈干切り作業は、山の斜面の急勾配のところで、柄の長さが三尺以上の鎌を振りまわしながら萱をなぎ倒す重労働な仕事だ。    (秋田・民謡企画 日本の民謡より)

●歌詞

ここの山の刈干しゃ すんだヨ
明日はたんぼで 稲刈ろかヨ


もはや日暮れじゃ 迫々(さこさこ)かげるヨ
駒よいぬるぞ 馬草負えヨ


屋根は萱ぶき 萱壁なれどヨ
昔ながらの千木(ちぎ)を置くヨ
http://www.plamrec.com/kiri.htm

●<解説>
fueブログ過去の記事http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/39256298.htmlより

私はこの唄の番が特に好きだ。

「もはや日暮れじゃ  迫々(さこざこ)かげるヨー」
日暮になると迫々(さこざこ)と言って、山の谷間のことだ。この谷間が日暮になると、みるみるとかげってくるのだ。ササーササーと一瞬にかげってくるのだ。

青(馬)よ、そろそろ帰るぞ、たくさん刈った馬草をのせて家路に帰ろう。登山をしていて日がかげる頃、この情景がよーくわかる。みごとな表現だ。馬と人が家族である情景も浮かぶ。山々でこの唄があっちもこちも響いて聞こえたらしい。「こっちもやってる」「あっちも帰るぞ」「明日はよー田んぼで稲かるぞえー」と呼び合ったのであろう。
いぬる (広島の方言) とは、去る・帰る・もどるの意味。
青(愛馬)や日暮れになったぞ・・・・そろそろ帰るぞ、刈った秣(まぐさ・馬草と書く)を背負ってや・・・・家族同様に接する馬に対する愛情を感じる。

●歌詞の「千木(ちぎ)」とは 

社殿の屋根の両端の所で、交差し高く突き出ている部分のことを「千木」といいます。 千木の起源は、日本の古代の住居(三本の木材を交差させたものを二組作り、それを建物の両端に立てて、その交差部分に棟木(むなぎ)をかけ渡した構造)の建築様式からきたとされています。 この建築様式の場合、交差した木材の先端は屋根よりも高く突き出ています。 その部分が、のちに千木といわれるようになったのでしょう
http://jinja.jp/faq/answer/03-10.html

●高千穂(たかちほ) 
・宮崎県の北端部、九州山地の中に位置しており、町域の西北部から北部にかけては熊本県に接し、北部から北東部にかけては祖母山(標高1,756m)を挟んで大分県と接する

・日本神話においては、ニニギの天孫降臨の地とされている。またアマテラスがこもったとされる天岩戸が町内にある(もっとも、他地域にも天岩戸とされる岩は存在しており、必ずしもその岩が天岩戸と特定されているわけではない)。
なお古代においては、この臼杵群の高千穂町一帯を上高千穂と呼び、外輪山を含む阿蘇山全てを下高千穂と呼び、千穂は「ちお」と呼ばれていたことが、阿蘇神社縁起や宇佐八幡託宣集などの古文書、あるいは平安時代に書かれた和名鈔で確認できる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

●8年前(2006年)宮崎の「自然と神話と伝説の里」の高千穂にツワー旅行に行った時、観光地で流れていたのが刈干切唄であった。
これは多分正調でない陰旋律の「刈干切唄」ほうであったと思う。大きい音量で、刈干切唄がずっと流れていた。思い出しました。

若い女性ガイドさんがバスで「刈干切唄」を唄ってくれましたが、少々音程が外れて精一杯のお唄でした。一生懸命に習ったんでしょうに、妙に印象に残っています。ガイドさんは、ちょっと旋律が違って唄っていました。懸命に聞いていましたが疲れました。

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