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じいやんの日記

観梅(寒梅)と震災 

2014年03月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:日記

冷た風が体感温度を3度程度下げるような金曜日、茨城の梅の名所の一つである、弘道館に行きました。
三部咲き程度でしたが、梅の満開時には中々巡り合えないので良しとする。
震災後に幾度となく茨木探訪を行いましたが、三年たった今でも影響が残っているのをまじかに感じました。
原発の廃炉は未だに始まってはないと知っていますが、本当に傷跡が多く残っているのが判ります。
阪神・淡路地震も三年で仮設住宅を撤去したが、被災地に家を建てる事の可能で自分の住んでいた所を見る事は何も問題が無かった。
しかし、福島は未だに帰宅が可能かどうか、また、その時期も明確になっていないところもあるし、半世紀は立ち入り禁止になる場所もある。
自然災害の恐ろしさは想像の範囲を超えますが、原発はそれに輪をかけた、人災ではないでしょうか?
科学や文化の進歩で恩恵にあずかるがまた、しっぺ返しもキツイ。
出来るだけ、自然環境の中で生活する事も考える必要があるのでは!。

紹介:
水戸藩 第九代藩主 徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の一つとして旧水戸藩の藩校開設されました。
弘道館建学の精神は、「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目として示されています。
弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で卒業はありませんでした。
学問と武芸の両方が重視され、文館では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武館では剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多彩な科目が教えられていました。
その後、幕末の動乱期を経て、明治5年(1872)の「学制」発布により弘道館は閉鎖され、県庁舎や学校の仮校舎として使用されました。幾度の戦火を免れた正門、正庁及び至善堂は、昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定され、往時の姿を今に伝えていますが、三年前の震災の影響で建物の中は見学できません。



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