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尺八と横笛吹きの独り言

見沼通船堀舟唄 

2013年06月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●「見沼通船堀舟唄」の採譜だ。 

 fueが在籍している戸田地区の民謡連合会で合唱で歌う唄が「この見沼通船堀舟唄」だ。国技館の全国大会10/18で歌う。
まだ歌ったことがない。テープと歌詞をいただき、まずは採譜してみた。
 この唄は珍しく河童譜面にはなかった。そこで、自力でゼロから音源を聞きながら採譜してみた。随分と弾む唄で歌詞が短く歌いやすい唄だ。
 自宅からはえらく遠いい練習会場(埼玉戸田地区)まで、いつか下合わせで行かなくてはならないなあ。
            
 
●「見沼通船堀舟唄」の開閉実演写真。見沼通船堀舟唄
写真http://www.stib.jp/mogitate/2010/08/tusenborijituen.html
パナマう運河より183年も前に考えられた運河だそうだ。
 ●通船堀は江戸時代中期の享保16年(1731年)に開通した「閘門式」(「閘門」とは水位の差の激しいところに水門を造って、水位を調節して通船をする施設のこと。)運河で国指定史跡にもなっています。 さいたま市の東南に位置する芝川と見沼代用水の3mの水位の差を結んでいます。よくパナマ運河と比較されますが、パナマ運河は1914年の完成なので見沼通船堀はパナマ運河よりも183年も前にできていたことになります。勿論規模の大きさについては比べ物になりませんが、着想の斬新さや工法の優秀さは現在でも高い評価を受けています。 この運河の開通によって江戸との産業交流はおおいに発展しました。
●見沼通船は、江戸時代においては、幕府直営で運用されていましたが、明治時代にもかなりの盛況でした。しかしその後陸上交通の発達に伴い、大正末頃にはとだえてしまいました 。
 この通船堀の船頭たちが歌った舟唄も伝えられています。七七七五調で、歌詞は20種以上あるそうです。

♪千住出てから
  まきのやまでは
     竿も櫓櫂も手につかぬ

ちなみに、和菓子の足立屋さんが販売している「見沼舟唄」という土産品もあります!
http://www.stib.jp/mame/mame_01tsusenbori.html
●開閉実演の様子 ユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=YCLh0xS2dHM

 
●「見沼通船堀」の地図。芝川と見沼代用水(二つある)を結ぶバイパス運河だね。
見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)は、見沼代用水(東縁、西縁)と芝川とを結ぶ閘門式運河である。1731年(享保16年)に作られた。
江戸時代後期から明治時代の内陸水運(見沼通船)で重要な役割を果たした。堀全体で4つの関(閘門)を持ち、閘門式運河では日本最古の部類に入る。
昭和初期以降から使用されておらず、現在はさいたま市緑区にその復元された遺構が残る。
1982年(昭和57年)、国の史跡に指定された。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


●武蔵野線 東浦和下車歩いてすぐの所に見沼通船堀がある。
合唱するからには一度、現場を見てみたいものだ。
●地図
http://www.asahi-net.or.jp/~XX9k-STU/spot/map_a.htm

 
●パナマ運河と原理は同じ。
低い位置にある川を止めて、渡る川まで同じ高さに上昇させ高い川にジャンプさせる。


●仕組み図 http://ord.yahoo.co.jp/o/image/
「見沼通船堀」は、芝川と見沼代用水を結び、江戸と川越に至る村々との間に船を通わせて物資を運ぶため、享保16年(1731年)に造られた運河です。芝川と見沼代用水とは、水面の高さに3mほどの差があるため、途中二ヶ所の閘門(開閉できる堰)を設けて水位を調節しながら船を通す構造となっているのが特徴で、パナマ運河と同じ仕組みの閘門式運河では国内最古といわれています。
http://www.ne.jp/asahi/fjk/art/saitama-minuma.htm

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