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尺八と横笛吹きの独り言

皆、それぞれ懸命に追い求めているのだなあ! 

2010年08月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

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●早朝5時ころの、自宅からの夜明け風景。<br />
朝は4時から目が開いて(死んだオヤジも4時ころ起きていたなあ・・・・)、だいたいNHKの深夜特急便を聞いている。<br />
 終戦記念特集で、心に響く話が多く大変に感ずること(琴と変換しました)が多い。<br />
<div class="alignCenter"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_0?1281580306" alt="イメージ 1" class="popup_img_320_240"></div><br />
広島や長崎の原爆の有様を残そうとしている詩人のお話やら、澤地久枝さんのインタビューなどは・・・・<br />
それぞれの方の人生の生き方を学ぶことが多々ある。<br />
 故人の方でも、身近な方でも、ブログ上の方でも・・・・<br />
同じ年齢くらいになりますと、最終章での生き方を考える。<br />
それはお金ではなく、個人的な利益の追求でもなく、最後は社会的なもので、後世に後輩に後の世にバトンタッチするもので生き抜いて、最終章を終えるものであるのだろう。<br />
 文学者や文筆家は日常の生き方や登場人物に社会の縮図を投影させて生き方の深みを我々の共感として知らせている。ときに、歴史の真実をあからさまにしらしめる。<br />
写真家や美術家は美しさや、淋しさを人生の縮図として瞬間に投影して、その思いや深みを共感として知らせている。<br />
エンジニアや工学者は「もの作り」の技術を伝え、それを人間の幸福のために日夜努力している。<br />
生物学者や物理学者は下向きな研究の末に、そこに隠れている規則性や法則性をひたすら突きとめることに全力を尽くす。そしてさらにこれを理論化させて人類の平和や健全な生活のために貢献しておられる。<br />
 30代40代50代はただひたすら走る。しかし最終章では次にバトンタッチするためにもお金ではない、名誉でもないものに、自分をむち打っているものがあるようだ。           <br />
 本日はようやく夏休みに突入したfue殿が、様々な方のバトンタッチの様子に意気を感じ、一気に筆を走らせているのでした。<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_1?1281580306" alt="イメージ 2" class="popup_img_320_272 clearFix alignRight"> <br />
●澤地 久枝(さわち ひさえ)さんの生き方。<br />
写真は<a href="http://www.kakusinkon.org/news.htmより借用。" target="_blank">http://www.kakusinkon.org/news.htmより借用。</a><br />
 ラジオ深夜便でのお話はグイグイと人を引き込んでいく。話をしだしたら止まらない。あれもこれもお話を持っている、それも真実の歴史にでない話だから重い。<br />
ミッドウェイ海戦での日本側の死者3057名の残された妻や子供、戦後を調べ上げた。相手の米兵遺族をも敵味方なく調べている。そこには歴史に出ない、戦争の悲惨さが浮き彫りに出てきた。<br />
調べるほどに「国はひどいことをしている」「大人はひどいことをしている」と述べている。<br />
この言葉は重い。<br />
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<br />
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●澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日本のノンフィクション作家である。<br />
東京生まれ。幼少時に父親の仕事の関係から旧満州へ移住、1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げた。<br />
1949年、旧制向丘高女卒業と同時に中央公論社に入社し同社経理部で働きながら早稲田大学第二文学部に学ぶ。在学中、学生運動を通じて知り合った男性と結婚。早大二文卒業後、優れた能力を買われて『婦人公論』編集部へ移り将来の編集長と目されていたが1963年、編集次長を最後に退社[1]。<br />
『記録 ミッドウェー海戦』で第34回菊池寛賞を受賞した。この2作品ではミッドウェー海戦の日米双方の全戦没者を特定するという前例のない作業に取り組み、完成させている。<br />
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<br />
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●ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん)は、第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)から7日にかけてミッドウェー島をめぐって行われた海戦。同島の攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で生起した。日本海軍はこの海戦で機動部隊の中核をなしていた主力空母4隻とその艦載機を一挙に喪失する損害を被り、これ以降戦争における主導権を失った。なお、この海戦ではアメリカ海軍もまた、空母1隻と多数の艦載機を失い、ミッドウェー島の基地機能に打撃を受けるなど、少なくない損害を出している。<br />
記録 ミッドウェー海戦    澤地久枝  文藝春秋 1986<br />
日米開戦の翌昭和17年6月3日から6日(日本側戦闘詳報による)にかけて相互の命運を賭した戦闘で三千四百人余の人々が戦死した。失われた艦船、航空機の数も多数にのぼり、この戦闘での日本側の損失はその後の戦局のゆくえをほとんど決定的にしたほどの甚大なものであった。<br />
 著者はこの戦闘による日米双方の戦死者の遺族や友人、恋人ら証言を自ら聞き取ってその証言によって一人ひとりのかけがえのない存在の重さを証明<br />
しようとした。<br />
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)<br />
●指揮官(□は日本側データ)<br />
□山本五十六大将 南雲忠一中将<br />
F・J・フレッチャー少将 R・A・スプルーアンス少将<br />
●戦力<br />
□航空母艦4 戦艦11 重巡洋艦10 軽巡洋艦6 駆逐艦53他 参加兵力10万 <br />
航空母艦3 重巡洋艦7  軽巡洋艦1 駆逐艦15 ミッドウェー島の基地航空隊<br />
●損害<br />
□航空母艦4、重巡洋艦1沈没 重巡洋艦1大破 駆逐艦1中破 戦死3,057 <br />
航空母艦1、駆逐艦1沈没 戦死307<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_2?1281580306" alt="イメージ 3" class="popup_img_78_137 clearFix alignLeft"> <br />
●上野治子(はるこ)さん(62才)の生き方。<br />
東京新聞「この人」欄。<br />
世界遺産に登録された島根県大田市の石見銀山が崩壊の危機にある。<br />
過疎化と高齢化で修復費の確保はむずかしい。銀山経営に携(たずさ)わった、旧家の跡取り。<br />
「父や伯父たちはほかの氏子の皆さんと神社を守ってきた。私も守っていかねば・・・・」<br />
千葉県での主婦生活より古里の島根県で過ごす時間が長いという。<br />
次の時代にバトンタッチするために、お金ではないもので、心血を注いでいる。<br />
「ふるさとの過疎化を守る会を結成した」<br />
私と同年齢、やるねえ・・・・<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_3?1281580306" alt="イメージ 4" class="popup_img_240_320 clearFix alignRight"><br />
●林芙美子(ハヤシフミコ)さんの生き方。<br />
庶民的な市井(しせい)の生活を、自分の体験として放浪記に書いた。<br />
 歴史にでない庶民の、そして自由な女性の生きかたを赤裸々に表している。<br />
●関門の地に私生児として生まれ、行商の養父・母に伴われて流れ歩く不幸な幼少時代を過ごした。成人して上京した後も、女中、売り子、女給、そして男達と人生遍歴を体験。そうした中から身につけた強靱な生命力と庶民性によって、出世作「放浪記」にみられる明るさと詩情をたたえた独自な文学世界を創出。戦時中は報道班員として意欲的に活動、戦後も旺盛に執筆を続け、林文学の集大成と称される「浮雲」を完成の後、新境地「めし」の連載半ばにして急逝。ひたむきに生きた47年余りの生涯であった。<br />
(清永唯夫)<br />
(<a href="http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/literary/hayashi.html)" target="_blank">http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/literary/hayashi.html)</a><br />
●1922年(19歳)、女学校卒業直後、遊学中の恋人を頼って上京し、下足番、女工、事務員・女給などで自活し、義父・実母も東京に来てからは、その露天商を手伝った。翌1923年、卒業した恋人は帰郷して婚約を取り消した。<br />
同棲しては別れることを繰り返した。<br />
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)<br />
(<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/50688405.html)" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/50688405.html)</a><br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_4?1281580306" alt="イメージ 5" class="popup_img_320_240 clearFix alignLeft"> <br />
●邦楽仲間の箏奏者・琴音(ことね)さんの追い求めているもの。<br />
邦楽をされている方は、アカデミックで高学歴な方が多いように思われる。<br />
琴音さんは琴では大師範。理学博士で研究者と聞いております。<br />
 最近男性で箏曲のお仲間に入られた男性は、やはり理学博士で名誉教授。燃料電池での大家らしい。<br />
さて、先日病院の研究所までお伺いして、研究のための動物実験のマウス飼育をお手伝いさせて頂きました。<br />
まず、写真のように白衣に手袋、マスク、長靴を履きまして、エアシャワーを浴びます。<br />
写真は琴音さんです。<br />
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_5?1281580306" alt="イメージ 6" class="popup_img_320_240 clearFix alignRight"> <br />
●職場の病院研究所。<br />
思ったより常時いるお部屋は狭い。他の研究者の方も論文を執筆中である。だたひたすらキーボードをたたいておられる。この方は腫瘍について、マウス実験をしながら研究をされている理学博士の女性。<br />
 「今日は花火に子供を連れていくのです・・・・」てなお話が聞こえました。普通の方です。<br />
彼女は肝疾患を研究されている。<br />
琴音女史の最近の論文小冊子をいただいたが、門外漢の私には意味不明な文字が多い。<br />
なんでもマウスに脂肪食(コリン欠乏食)を食べさせるグループと、普通の常食を食べさせたマウスとを比較するらしい。メタボになったマウスの組織を見させていただいた。<br />
 正常肝臓組織より丸いブツブツが多かった。(このブツブツは脂肪滴というらしい)<br />
手際よく、マウスチャンのシッポをもってエーテル吸飲麻酔をさせる。これの尾静脈のconAとかいうクスリを打つのでした。6週間くらいの命のマウスちゃん、ちょっとかわいそう。<br />
 屠殺するときは、情を出さないで事務的に行うそうだ。エーテル吸飲麻酔域に長く置けば苦しまないで安楽死させられるようだ。何十匹といるマウス群の中で実験を通してその規則性を追求しているのですねえ。マウスと箏曲のミスマッチがおもしろい。<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_6?1281580306" alt="イメージ 7" class="popup_img_320_240 clearFix alignLeft"> <br />
●マウスちゃんが水を飲んでいます。<br />
水の飲み方は、本能的に親が教えるらしい。<br />
もっぱら私は、写真のおが屑の交換のお手伝いをしました。フンやらオシッコでしめった床をきれいにします。ラベルを新しい容器に移動。<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_7?1281580306" alt="イメージ 8" class="popup_img_320_240 clearFix alignRight"> <br />
●メタボマウス(50グラム)と正常マウス(25グラム)はこんなに違います。<br />
およそ2倍になったメタボマウス。そうですねえ毎日、脂肪を食べたら人間も同じ。<br />
黄色や白色の脂肪肝になっているのだろう。恐ろしや・・・・私もメタボだ。<br />
顕微鏡でみた肝臓を見ていたら、野方の秋元で食べた「レバ刺し」を思いだした。<br />
 今度は食べられないかも・・・・<br />
日夜、地道な研究をされている姿をこの目で見て体験してきました。<br />
 <br />
●岡山の河童師匠の生き方<br />
<div class="alignCenter"><img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_8?1281580306" alt="イメージ 9" class="popup_img_178_198"></div><br />
これはfueブログによくおいでになる河童師匠の新聞記事。(河童ブログから借用しました)<br />
この方の生き方もすごいものがある。地元の新聞やラジオで紹介されたようです。<br />
もと世界を股にかけた大型タンカーの船長さんが、最終障では海から陸(おか)にあがりボランティア活動に情熱を燃やしておられる。<br />
 尺八大師範で、理論や譜面化にめっぽう強い。私などのために様々な譜面や、DVDを送付していただいている。いい生き方だなあ・・・・<br />
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●どこかのfueさんの生き方<br />
<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/48/20/shakuhachi_fue/folder/696810/img_696810_50871137_9?1281580306" alt="イメージ 10" class="popup_img_289_320 clearFix alignRight"> <br />
なにも後世に残すものがないなあ・・・・<br />
せいぜいラジオ体操のおじさん・・・・そして地域の民謡、時々ボランティア・・・・<br />
これくらいだわや。<br />
 人類のために大きな足跡を残すわけでなく、まことにもって個人的なレベルで「あの曲、こも曲」「吹けない」「出来ない」とボヤキながら最終章を歩いておりまする。<br />
 皆さん懸命に歩いているのは共通しているです。今日は長かったなあ・・・・およそ3時間の大作でした。<br />
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