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作品名 アカンタレの話(25) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(25)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/20 09:28:43

+++畑違いの仕事だったから、早く一人前になろ
うと気持は死に物狂いであった。気忙しい中で、休
日であっても仕事以外へ気を回すゆとりとて無く、
「何時か機会があれば」は何時までも巡って来なか
った。

25.カミサマ
 幸いな事に、セールスの仕事は案外私に向いてい
たのである。やれば、やっただけの成果というお返
しがあった。これは、技術屋として大学に学び、し
かも卒業後の人生の前半をエンジニア一本で生きて
来た身には、意外な発見であった。「こんな口一つ
の仕事が、自分は人より上手に出来るんだーーー」
と実感した。

 仕事への向き・不向きというのは、四十を過ぎて
も自分でなお判らない処があるようで、セールスの
仕事が次第に面白くて仕方なくなって行った。面白
くなると、余計に機械が売れて更に面白いという循
環を繰り返した。当初「要らん」と言っていた客ま
でが、「やっぱり要る」と悔い改めて買って呉れた。

 新しい水を得た魚のように私は活き活きとなり、
仕事に没頭した。驚くべし、口下手で無愛想のはに
かみ屋だった私が、やがて社内でナンバーワンのセ
ールスマンになったのである。
 
 私の手に掛かれば、数百万円の機械が面白いよう
に売れた。人付き合いが苦手な私と、客も販売代理
店の人も、みんな友達になりたがった。近所のメス
犬でさえ、私と結婚したがった位である。
 社内で、エライヤッチャと言われるようになった
が、それでも言葉が足りず、ついにはカミサマと囁
かれるようになった。
 なるほどーーー、これが宗教の「始り」かと初め
て知ったものである。

 そうこうする内に、セールスの腕を会社の為に使
うより、自分の為に使おうと考えたのは、格別な決
心ではない:約三年間のセールスの経験を経て独立
し、配偶者と二人で販売会社を興し、経営者となっ
たのである。

 こうして、私の四十代半ばから六十前までは多忙
に拍車が掛かった。独立してからもたった二人の会
社である。私は営業マン兼任の社長で、殆ど毎日の
ように須磨アルプスの北側の山麓を、機械のサンプ
ルを積んだ営業車で疾走する日々が続いた:「機械
は要らんかねえーーー」 
 山麓を走るたびに、小さな白い見晴台らしきもの
は私へシグナルを送り続けたが、「何時か機会があ
れば」の機会はとうとう巡って来なかったのである。
(つづく)

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