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自転車で物語散歩
「漱石 マドンナの坂」シリーズ(6) -『こころ』 13-
2011年12月22日
テーマ:テーマ無し
「K君の来たのは二時前だった。僕はK君を置き炬燵に請(しょう)じ、差し当りの用談をすませることにした。縞(しま)の背広を着たK君はもとは奉天(ほうてん)の特派員、――今は本社詰めの新聞記者だった。「...
「漱石 マドンナの坂」シリーズ(6) -『こころ』 12-
2011年12月18日
テーマ:テーマ無し
今回の『こころ』シリーズは、今日で一区切りにしたい。また、折があれば、続編を綴ってみたい。というのも、このマドンナ坂シリーズは、【漱石・マドンナの坂地図】にあるように、青い四角でくくった小石川・牛...
「漱石 マドンナの坂」シリーズ(6) -『こころ』 11-
2011年12月14日
テーマ:テーマ無し
前回、一人さびしく下宿に残った"私(先生)"は、雨があがったのをもっけの幸いとばかり、「私はふと賑やかな所へ行きたくなった」のである。その足跡をおってみよう。蛇目を肩にかついで"私(先生)"は、「砲兵工廠...
「漱石 マドンナの坂」シリーズ(6) -『こころ』 10-
2011年12月13日
テーマ:テーマ無し
"私(先生)"が見つけた富坂町の下宿は、日清戦争で夫を亡くした未亡人と娘さんが暮らす家である。日清戦争は一八九四年(明治二七年)七月から一八九五年(明治二八年)三月まで。ゆえに、"私(先生)"の話は、一八...
「漱石 マドンナの坂」シリーズ(6) -『こころ』 9-
2011年12月08日
テーマ:テーマ無し
旧町名の小石川上富坂町あたりを、筆者は"私(先生)"のあらたな下宿先と推測している。しかし、その場所は、小石川表町である、というのが通説であるようだ。たとえば、『漱石の東京』武田勝彦氏も小石川表町説だ...