面白きデジタルの世界

おばあちゃんとの思い出 

2022年08月07日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

僕は3歳のときに親が離婚し母子家庭で育ちました。
母は女で一つで育ててくれましたが、朝早くから夜遅くまで働いていたので(正確には朝早くに出て昼くらいに戻り、夕方にまた働きに出る)ずっとおばあちゃんに育てられてきたようなものでした。
18歳で大学で山形から上京することになり、僕が一番心配だったのはおばあちゃんのことでした。
小さいときから何するにしても一緒だったおばあちゃん。
おじいちゃんもとっくの昔に他界し、兄ももう家を出ていないので僕がいなくなるとずっとおばあちゃん一人で朝から夜までいることになります。
電車が2時間に1本しかこないような田舎から都会に出るのはとても不安でした。でも僕のことよりもおばあちゃんが寂しがることのほうが辛かったです。
僕が上京してからもたまに帰ると嬉しそうに出迎えてくれました。
2回ほど脳内出血で倒れましたが2回とも奇跡の回復。
でも晩年はだんだんと僕の記憶もなくなっていっていました。
実家近くの新庄駅から新幹線で帰る時、僕はいつも思っていたことがあります。
「これがおばあちゃんとの最後の別れの帰省なのかもしれない」と。
毎回新幹線で涙を流していました。
そのおばあちゃんもコロナ禍の2020年に亡くなりました。
92歳の大往生でした。
ちょうど一回目の緊急事態宣言が発令された頃で、葬儀には出られませんでした。あれから僕は一度も帰れていません。
僕はまだおばあちゃんが死んだことを受け入れてしまうのが怖いのかもしれません。遺影を見てしまうと、これが現実だと突き付けられてしまうから。
一番の思い出は畑に一緒に行った日々のことです。
小さい頃一輪車に僕が乗っておばあちゃんが連れて行ってくれました。
でも高校生のころからでしょうか。
立場は逆転し、僕がおばあちゃんを一輪車に乗せて畑に通いました。
今はその畑もやる人がいなくなり(山道でちょっと行くのに大変な場所にあります)草で生い茂っています。
僕は清流と山で育ったので、都会暮らしは疲れるなと感じることが多々あります。便利なんですけどね。
おばあちゃんと畑できゅうりやなす、じゃがいもなど収穫してた頃が楽しかったな。
いつか僕の思い出がたくさん詰まった実家の畑を蘇らせたいなと思っています。
おばあちゃんのことで残しておきたいことはまだまだあるので今日はとりあえずこのあたりで終わりにします。



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