どうでも雑記

富士山 遭難事故 

2022年03月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:青春の回想

富士山遭難事故

1,登頂と雪上訓練を計画
Kenが登山で明け暮れた青春時代の思い出の中に、忘れられない日が、いくつかある。今年もその一つである、その日が近づいてきた。

1972年3月20日、春一番の強風と気温上昇により、富士山では季節外れの暴風雨となり、登山者が低体温症や雪崩に巻き込まれて相次いで死亡する事故が発生した。

前日の19日から春分の日を含む3連休でもあり、富士山には7つの登山グループと4人の単独登山者の計55人が入山していた。そのため多くの遭難事故が発生した。

この遭難事故に伴う死者24人は、一般登山者による国内最大の山岳遭難事故であった。

kenがまとめていた山岳会もこの中にあり、例年、この時期に富士山の宝永山付近での雪上訓練と、条件が良ければ富士山登頂を行っていた。今回は日頃から親交のあるN山岳部との合同雪上訓練でした。

当初の計画では、我が会から4人参加することで3日前までkenも参加メンバーだったが、山岳会員家族に不幸があり急遽、kenとMが葬儀に出席するため不参加となり、2名は計画通りN山岳部と合同で、6名で実施することを決定した。

3月末とはいえ、まだ積雪の多い富士山での遭難事故について、その一部を紹介します。

6名は18日の夜に車で御殿場口の2合目の駐車場に着く。ここで車中とツエルトテントに分かれて寝る。

19日朝5時に起きて朝食、支度をして6時30分に出発する。天気は快晴、二合目は無風で登山日和だった。気象判断では、これから少し下り坂だが、BC(ベースキャンプ)予定地の七合目から八合目下までなら、下山も楽にできるとの判断で頂上を目指して登りだした。

写真は黒岳山頂からの富士山と3月の2合目登山ルートの森林

…つづく…



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