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敏洋’s 昭和の恋物語り

ボク、みつけたよ! (三十三) 

2022年01月22日 外部ブログ記事
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 次なる場所は、福岡県久留米市篠山小学校、です。ここには特産品がありまして。それをご存じですか? 素晴らしい!久留米絣(くるめかすり)でゆかたを作ってもらった記憶があります。白地に紺の模様入りだったと記憶しています。夏祭りに着させてもらったはずです。のりが利きすぎていてゴワゴワ感が半端じゃなく、首元がチクチクと痛かったです。
 市内の篠山小学校に通っていたといっても、住居は田舎でした。それがどこだったのかが、今となっては分かりません。汽車とバスを乗り継いで通学をしていたという記憶が、しっかりとあります。電車ではありませんよ、「シュッシュッ、ポッポ」の蒸気機関車です。D51? C63? 何だったでしょうねえ。それと、バスは木炭自動車ではないですからね。現在と同じディーゼルエンジンですから。
 住居の近くは一面が田んぼで、春先にはレンゲ草が一面に咲き誇っていました。そのレンゲ畑には、蝶々もたくさんひらひらと飛んでいました。畑と言えば、麦も植えられていました。ただ、その種類は分かりません。この記憶が事実かどうか判然としませんが、その麦の中に黒い穂がありました。触れるとその「黒」が付いてしまうのです。ズボンやらの服に付いた状態で帰宅し、母親からこっぴどく叱られたものです。そうだ! 叱られたと言えば、こんな言葉を大声で叫びながら帰ったものです。近所の悪ガキとともに、畑のあぜ道を「はらへったあ、めしくわせえ!」と、連呼し続けたものです。
 列車とバス通学だったとお話ししましたが、久留米駅の前に大きな建物があり、そこから各方面のバスが発着していました。現在は無いようですね。そのお隣に喫茶店がありまして、大きな硝子窓がありました。そこで大事件です。大人たちが、飲み物とともに、ショートケーキを頬張っているんですね。それがうらやましくて、羨ましくて。(大人になったら、ぜったい食べてやる!)。そう決意したのです。  駅からはバス を使って小学校に通っていましたが、いつも同じバス車掌さんでした。定期券を使っての通学ですが、結構大人たちが顔パスで降りていくんです。これ、覚えておいて下さいね。
 ある日のことです。いつものようにバスに乗り込んで、顔なじみの車掌さんに「おはようございます」と挨拶します。そして「こっちにお出で」と呼ばれ、車掌さんのもとに立ちます。車掌さんは大体が背中を車体に向けて、正面に立たせてくれます。幸せな時間ですよ、ほんとに。柔らかい胸に顔をくっつけて、甘い香りにつつまれていました。多分、そう、おわかりですね。痴漢対策でしょうね。いつもギューギュー詰めが多く、ときには乗降口のドアを開けて、手すりにつかまりながら車掌さんは身体を外に投げ出すような感じです。発展途上国のニュースで見た経験はありませんか? 日本でも、昭和30年代前半では当たり前のシーンでした。
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