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敏洋’s 昭和の恋物語り

九州旅行 〜ルーツ探しの旅〜 (二十七)五日目:生地(聖地)伊万里に向け、GO GO GO! 

2019年09月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



国道383号線を通り、もうすぐ平戸大橋です。


[平戸大橋]

綺麗な橋でした。
朱色に塗ってあるでしょ? なんだか、鳥居の下を走るような感覚に囚われました。


[有明海]


[日本海側]

このずっと先が、日本海に繋がります。
そして、隣国です。
わたし、映画・ドラマが好きでしてね。
イ・ビョンホンの大ファンなんです、そしてKARAちゃんたちも。
解散というか、分裂というか、残念です、ほんとに。
特に、ハン・スンヨンちゃんが大好きです。


[表示板]

左に曲がって、伊万里市へと向かいます。
いよいよです、生地(わたしにとっては、聖地です)へと向かいます。
やっぱり、ワクワクしますね。


[ルート図]

約1時間の行程です、が、1時間半近くかかってしまいました。
またしても、道を間違えてしまいました。



松浦発電所近くで、真っ直ぐに行けば良いものを、どうしたことかナビが左に曲がれと指示を出したのです。
曲がっていくと、発電所の敷地へと向かう道でした。
おかしいなと思いつつも、そのまま走り続けて、とうとう敷地内に?。
やむなくUターンしたものの、右に左にと右往左往状態に。
えらいこってす、ほんとに。


[松浦水軍]

松浦党は、平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された松浦氏の武士団の連合。
一族は48つに分かれており、松浦四十八党とも呼ばれた。水軍として有名。
嵯峨源氏の流れをくむ松浦氏を惣領とし、渡辺綱にはじまる渡辺氏を棟梁とする摂津の滝口武者の一族にして水軍として瀬戸内を統括した渡辺党の分派とされる。
(渡辺 綱(わたなべ の つな)は、平安時代中期の武将。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。渡辺氏の祖)。


[一條戻り橋の邉にて髭切丸の太刀によって、茨鬼童子の腕を斬=歌川国芳・画]
*茨木童子は、酒呑童子一味のひとり。

祖の松浦久(渡辺久、源久)は、渡辺綱(源綱)の子の奈古屋授(渡辺授、源授)の孫とされ、延久元年(1069年)松浦郡宇野御厨の荘官(検校)となり、松浦郡に所領を持ち松浦の苗字を名乗る。
松浦一族は、その居住した地域が多島海沿岸であったことと、朝鮮半島、中国大陸に海を隔てて近接していたことから、船を利用して日宋貿易に従事する機会も多かったと思われる。
また、船に頼る生活から、水軍として、さらには海賊常習者のイメージが中央貴族をはじめ一般にも定着し、松浦党の呼称が与えられることになった。−−−Wikipediaより

途中、伊万里松浦道路という高速(ではなく、中速かな?)道路があったので乗り込みました。


[伊万里駅]
で、やっと到着です。


[伊万里駅正面]

「えっ、えっ、えええ!」
思わず絶叫ですわ。
まるでイメージが合いません。
木造の駅舎で、右から左から、SL(蒸気機関車)が行き交っていました。
筈なんですが……。
すぐにホテルに入れば良かったものを、実はあるものを探し始めたんです。
いえ、生家とか学校とかいう建物ものではなくて、口に入れるものなんです。
チャンポン、チャンポンを食べたいのです。
ですが……、中々それらしき店が見つからず、意気消沈してホテルを探すことに。


[居酒屋]

なんということか、ホテルの目の前に居酒屋が。
そしてそこでは、チャンポンが食べられるようでして。


[ホテル]
良かった良かったと、安心してチェックインです。

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