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敏洋’s 昭和の恋物語り

九州旅行 〜ルーツ探しの旅〜 (二十六)五日目:生地(聖地)伊万里に向け、GO GO GO! 

2019年09月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



オランダ商館を出てから、伴天連さんに興味を覚えました。
正直のところ、良い印象は持っていません。
偏った認識かもしれませんので、キリスト教を信じておられる方には不快な思いをさせてしまうかもしれませんので、先にお詫びしておきます。

キリスト教でまず思い出すのは、十字軍です。


[十字軍]

十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。
一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。

実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。
また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回の十字軍は北アフリカのチュニスを目的としている。−−−Wikipediaより

簡単に言ってしまえば、宗教という名を借りた領土奪取戦争ですよね?
まあこれは、現代でも起きていることなので、簡単に断じることはできないかもしれませんが。
我が敬愛する日本国にしても、宗教間での小競り合いは常に起きていたようですし。
大きな所では、織田信長でしょうか。
武士による日本国を創り上げようとしたところから、宗教弾圧が始まったのでしょうから。
当時の僧侶たちの、首を傾げざるを得ない素行不良(?)等もあり、信徒以外の住民たちは冷静に見ていたという説もありますし。
ほんと、難しいです、宗教が絡んだ話というのは。

次に思い出すのが、アヘン戦争です。


[アヘン戦争図]

阿片戦争は、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。
イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた。
アヘンの蔓延に危機感をつのらせた清がアヘンの全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したため、反発したイギリスとの間で戦争となった。
イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。−−−Wikipediaより

直接的にはキリスト教との関係はないのですが、どうにも伴天連さんたちが裏で暗躍していたのでは? という思いを拭えないのです。
99年間という約束が終わり、香港が中国に返還されました。
その後のことは、皆さん、ニュース等でご存じだとは思いますが、悲惨ですね、残念です。

さあ、それでは旅行に戻りましょうか。
フランシスコ・ザビエル教会に赴きました。


[上空から]


[道路からの入り口]


[教会]


まあそんなに不満げな顔をしないでくださいよ。
確かに立ち寄っているという証しなのですから。

駐車場が少し離れた場所にありまして、閉口しました。
なにせ小高い山の上ですから、ゆったりとした坂になっているわけですよ。
腰痛持ちと相まって、フーハーフーハーと息を切らしながら登っていきました。
これだけ苦労したのだからと、勇んで中に入りました。
と、と、と! 入り口すぐにロープが張ってあり「入場禁止」ですって。
正面にあるキリスト像は、はるか彼方ですわ。
「勘弁してよ!」と、おもわず愚痴ってしまいましたよ。


[内部]


[ザビエル像]

でも外に出ると、素晴らしい光景が広がっていました。
小高い山ですから、湾が見渡せました。

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