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尺八と横笛吹きの独り言

「関の鯛釣り唄」・・・・・大分県民謡 

2018年03月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●「関の鯛釣り唄」都山譜
10年前の琴古マイ符面、河童さん譜面を参考にしました。
今度、合唱曲でこの曲が候補にあがっています。
・・・・・譜面を書き上げたら、ほとんど河童さん譜面と同じでした。
赤字のところは2番のむずかしい方言のある歌詞の部分です。

この唄は元禄年間の頃から、関の漁師たちの間で歌い継がれてきた唄だと言われている。
大分市の東部に位置する佐賀関半島沖合、豊伊海峡高島を中心とする一帯は鯛・ぶり・
イサキなどの宝庫で、一本釣り専用の漁場として現在も行われている。
「日本の民謡」秋田みんよう企画より転載。

●YouTube 鯛釣り唄  2016/10/09 に公開
第50回 富士市総合文化祭 民謡のつどい 2016/10/09 に公開
https://youtu.be/hJ7Vdoh0Ffc

●佐賀関半島突端の関崎と、四国佐田岬の間二二・九キロの海域が豊予海峡          
 
佐賀関半島突端の関崎と、四国佐田岬の間二二・九キロの海域が豊予海峡であり、その中ほどにウミネコで知られる高島がある。この高島と関崎の問にある海峡が、「平瀬(ひらせ)」(平礁)・「権現礁(ごんげんべえ)」などの暗礁をはじめ多くの岩礁が潜む「速吸(はやすい)の瀬戸」である。
 
 太平洋と瀬戸内海の間を循環する潮流は、この瀬戸(海峡)で急に流路を狭められる上に、散在する岩礁に阻まれるため、潮の干満によって生ずる潮流は、鳴門(なると)に匹敵する程の渦潮(うずしお)を生んで逆巻き、流速は最大五・五ノット(時速約一〇キロ)にも達する。
 海の難所と言われた「速吸の瀬戸」は、魚群の回遊・棲みつき・成長にとって最適の海洋環境であるため、鯛をはじめブリ・アジ・サバなどの一大宝庫を成し、古くから佐賀関漁民の一本釣り専用漁場として活気を呈したところである。
 
 機械船など無かった藩制時代。白帆を張った数多くの一本釣り漁船が、「平瀬」周辺の小瀬戸を上り下りしながら、勇壮に漁を競い合ったものである。あちこちの船で「鯛釣り唄」が盛んに歌われたのは、その頃のことである。「コンタンベーの唄」などと呼ばれて親しまれていた「鯛釣り唄」も、その後激しく移り変わる時代の潮流には抗しきれず、ただ衰微の一途をたどるばかりとなった。
 しかし、幸いにも昭和一七年の頃、当時の壮年団員栗林豊松・新田寿八・立山篤生・野田輝一・北尻義雄らが、小浜区藤沢清次郎翁の唄を伝承し、危うく絶滅の危機を脱することができたのである。
 
 昭和三七年。県観光の浮揚を企てる大分県と県観光協会は、県民謡の代表八曲をコロンビアでレコード化して普及に努めることになった。「鯛釣り唄」が、その中に選ばれたことは、何よりの幸運であった。関の鯛釣り唄保存会会長 安部博進
www.coara.or.jp/~yuki/minyou/9406.htmより転載

●関の一本釣り
 
●関の鯛釣り唄・・・・・歌詞
1 関の一本釣りゃナー
高島のサー沖でナー
波にゃゆられてサアヨー言うたノー
鯛を釣るわいノー
 ハアヤンサノゴツチリ ゴツチリ
 船頭 ブリかな鯛かな
 鯛じやい 鯛じやい
2 釣って釣り上げてナー
ナマイヨ<注1>にゃサー立ててナー
大阪ジャコバ<注2>のサアヨー言うたノー
朝売りじゃいノー
(はやし)
3 コンタンベー<注3>が下らすときゃナー
腰の紺手ぬぐいどま置きゃれナー
様を見る見るサアヨー言うたノー
顔をふくわいノー
(はやし)
注1 ナマイヨ=1鮮魚。
注2 ジャコバ=魚市場。
注3 コンタンベ=あんた。お前さん。



●関の鯛釣り唄 西洋譜 採譜 加藤正人
www.coara.or.jp/~yuki/minyou/9406.htmより転載

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