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日々徘徊〜♪

浅草。 

2017年06月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

 もう 何年か前に 東京見物に訪れたことがあります
確か二泊三日か一泊二日か定かではありませんが

ジパングの切符で大阪から 往復新幹線。
その時の東京駅はすでに今の綺麗な駅舎
で その駅前はまだ工事中

東京の電車地下鉄は よく解らない
まるで蜘蛛の糸の様子・・。

それでも 何とか 色んな場所へ観光することが出来ました。

ある夜は はとバス二階建てに乗り 夜景
ある時は 隅田川の遊覧船の船に乗り
色んな説明を・・。
そしてあの大きな橋ゲートブリッジも
行って見た。 途中にTDLも見えました。
等など 個人で行きましたので
好きな場所へ

本と 東京だよおっかさん してきました。
別に 外国へ来たわけでもなく
言葉も 不自由でなく 関東弁を聴きました。


ただホテルの窓から スカイタワーが
ぼんやり見えている場所に
泊まった。

丁度スカイタワーが 出来て間もないころ昇るのに
時間は予約制 四時間待ちでありました。
その頃混みこみで 待ち時間はまだ短い方でしたね。
本と田舎者やった。
浅草 皇居 靖国 ほか

良く歩きまわりました。右も左もわからない東京観光そそうそうあの浅草の雷門は 何故雷門なのかの疑問は
以前のブログで書いています。

大阪の通天閣は日立のCM
で 当時松下幸之助さんが 悔しがり
浅草のあの雷門の赤い提灯をそして一件落着。
今に至ります。
何故雷門?

雷門の創建は平公雅が天慶五年(942)に心願成就の奉賽として、浅草寺本堂を始め堂塔伽藍を再建した際に総門を駒形に建立。
但し、文献に最初に著われてくるのは寛永十二年(1635)なってからです。
後に明和四年(1767)に焼失、その後2800両を投じて寛政七年(1795)に再建されたが、慶応元年(1865)総門もには焼失した。
その後戦災を経て昭和三十五年五月に再建現在に至る。
門の間口は六間半(11.8m)奥行三間(5.4m)の切妻造りの様式、雷神の背丈は2.21m、風神は2.12m
左右それぞれに風神像(右側)、に雷神像(左側)が祀られています。
雷門の由来は二神像があることから風雷神門称されるとともに、別名を共に風雷神で神の鳴る門であるため「神鳴門」の別名を有します。ともいわれ、のちに雷門といわれるようになりました。

三回も消失していたのですね。



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Mr.mさん

お京さんさん

お早うございます。
生涯でまだ東京は五回
しかも観光は修学旅行と
今回のブログで二回
後は身内のことで・・。
後は山梨県に行くときは
車なので これも観光でなく
足を踏み入れたとそんなものですね。

観光は良かったですね。
想い出も沢山あります。
Mr.mさん
東京だよおとっあんでしたね。

私も、おのぼりさんみたいでした。

2017/06/19 08:50:57

上京

さん

おはようございます

二・三年前の夏に所用で一泊二日で上京してきてました。
行きは開業した北陸新幹線。
東京まで2時間 早いです^^

その合間に隅田川を船で巡り浅草へ。
スカイツリーにも昇ってきました。
学生時代と社会人の新人を過ごした東京
随分と変わってました。

2017/06/19 07:46:08

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