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吾喰楽家の食卓

圓歌師匠の冥福を祈る 

2017年04月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:生活

一昨日の早朝、三遊亭圓歌の訃報を、パソコンで知った。
その後、分かったことだが、前日、自宅で体調が悪くなり、病院に緊急搬送されたが、そのまま帰らぬ人になったという。
阿佐ヶ谷の兄は、圓歌師匠とお付き合いがあった。
兄は、パソコンを遣らない。
何れ訃報は分かると思ったが、速報のつもりで、兄のガラケイにメッセージを送った。
私の連絡が第一報で、驚いた兄から、直ぐに礼の返信が届いた。

圓歌師匠の実演を初めて観たのは、奇しくも、二年前の今日、四月二十六日である。
国立演芸場の国立名人会でトリを務め、新作落語の『圓歌の道標』を口演した。
二回目は、翌月の中席だ。
孫弟子の三遊亭司が真打に昇進した披露公演で、落語協会の幹部として中入りを務めた。
その時の演題も『圓歌の道標』だったが、中入りはトリと比べ持ち時間が短いから、少し端折った口演だった。
その後、圓歌師匠の高座を観る機会がなかったのは、少し悔やまれる。

昨日の朝、兄から「東京都青山葬儀所の行き方を教えてくれ」と、メールが届いた。
誰からか、葬儀の日程を知らせて来たらしい。
兄は、電車には滅多に乗らず、もっぱら自家用車なので、公共交通機関の路線には疎い。
もっとも、私だって、近年の東京の地下鉄網は、パソコンが頼りだ。
兄はパソコンを遣らないが、それを使えば簡単に分かることは知っているから、何かあると、直ぐに訊いて来る。
「南阿佐ヶ谷から丸ノ内線に乗り、国会議事堂前で千代田線に乗り換え、乃木坂で降りると、徒歩三分」と、連絡した。

メールの遣り取りで、何気なく葬儀の日程を訊いた。
「二十七日の午前十時半から」と返事が来て、「一緒に行かないか」と、誘われた。
圓歌師匠とは、葬儀に行く程の付き合いではないから、返事を渋っていると、「香典は要らないから」と、再度、誘われた。
要は、兄の鞄持ちである。
二十八日は、別の用事で遠出をするので、前日、東京に泊まるのは具合がいい。
葬儀にかこつけ、兄と遊ぶことになるかも知れないが、明日、圓歌師匠に、お別れをして来ることにした。

合掌

   *****

写真
4月25日(火)の昼餉(鶏飯)と夕餉(本マグロ)



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がくさんへ

吾喰楽さん

こんにちは。

圓歌(歌奴)は、圓蔵(圓鏡)や初代三平と並んで、独自の芸風を持った噺家でしたね。
それだけに、好き嫌いは分かれましたが。

歌奴時代、ラジオに噛り付いていました。
まだ、テレビが無い時代でした。
小学生でした。

2017/04/26 15:12:58

圓歌さん訃報

さん

吾喰楽さん。
歌奴時代からの圓歌は好きでしたが最近落語を聴いていませんでした。若いころは良く聴いていたのに。貴重な落語家を失いました。 合掌。

2017/04/26 14:51:03

みのりさんへ

吾喰楽さん

おはようございます。

落語家には、定年がありません。
ですから、現役のまま亡くなる師匠も多いですね。
ある意味、死ぬ直前まで仕事が出来たのは、幸せかも知れません。

圓歌師匠は、戸籍上は85歳ですが、本当は88歳だとか。
戦争で戸籍簿が焼失し、作り直す際に間違えたそうです。

2017/04/26 09:47:41

圓歌師匠

みのりさん

 吾喰楽さん
圓歌師匠が亡くなられたとか
最近は有名人が亡くなる方が
多いですね
ご冥福をお祈りいたします。

2017/04/26 09:37:28

村雨さんへ

吾喰楽さん

おはようございます。

家業を通じての、お付き合いです。
師匠より、奥様に会うことが多かったとか。
マンションに越す前の家ですが、日曜日の早朝のテレビ番組「演芸図鑑」の対談に使われている、セットのような茶の間だったとのことです。
「いい奥さんだよ」と、兄は云っていました。

2017/04/26 08:37:56

お兄さまを

さん

慰めてあげてください。

2017/04/26 08:22:15

おとめゆりさんへ

吾喰楽さん

おはようございます。

私は子供の頃、ラジオでよく聴いた噺家さんの一人です。
他には、金語楼、志ん生、金馬、圓生、文楽、米丸などです。

今年になって、入退院を繰り返していたそうです。
二年前に、上野鈴本演芸場に近いという理由で、湯島のマンションに引っ越していました。

2017/04/26 07:45:04

吾喰楽さんへ

さん

お早うございます。
「山のあな あな」テレビでよく観ていました。
突然逝かれたのですね。ご冥福をお祈りします。

2017/04/26 07:32:51

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