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風薫る散歩道
船旅 72日目 ベネズエラのラグアイラに入港
2016年11月18日
テーマ:テーマ無し
72日目 ラグアイラに寄港 6月22日 晴
朝、もうベネズエラのラグアイラ港に着岸していた。初南米である。
デッキにでると目の前はすぐに山がそびえていた。そしてその山肌には赤や黄色、青色など色鮮やかな家?がへばりつく様に建っていた。これが有名な貧困層の住宅街であった。
良く見るとところどころ崩れた様なところもある。そしてそこにはゴミと思われるいろいろなものが捨てられている。双眼鏡で見る限り、だんだんと山肌を削り、掘っ立て小屋の様物を立てたり、基盤だけコンクリートで固めてその上に簡単な家?小屋がある。道は人が歩ける様なものは見えるが、車の通るような道路は無い。そして家々に青いタンクの様なものが見える。多分水のタンクであろう。
ゴミ捨て場?
南米初上陸の日、最初のカルチャーショックである。
ベネズエラは“ギアナ高地”しか知らなかった国です。石油が算出し、時の大統領が欧米の石油施設を強引に国有化し、アメリカ合衆国と関係が悪化していることくらいが知識としてあった。
治安が悪いことばかり船内で伝えられるので、ツアーはキャンセルせず、二日間ともツアーに参加する予定になった。
今日は“ドイツ人が入植し、開拓した村を訪ねる”のツアーである。全く興味が無かった。
出発前に両替があった。一人10USドルで、なんと現地通貨5500ボリバルに両替最高紙幣100ボリバルが50枚に50ボリバルが10枚の計60枚に、皆さん大金持ちになった気分で、笑いながら確認してた。もちろん財布には入りません。
10US$で両替
小型バス2台で出発、ラグアイラの港から首都カラカスを通過し、約50km弱離れた山里向かいます。そこは海抜1800mもあり、南米といえども寒いことがあり、羽織るものを持参するように説明があった。
一台のバスには30人ほど乗り、ほぼずっと坂道を登って行った。
カラカスを過ぎてからの山道は狭いので、大型バスは無理でしょう。バスははっきり言ってボロ車です。途中馬力が無くヨタヨタと登って行ったが、もちろんその時は冷房も切ってあった。途中トイレ休憩で小さな村?に寄る。
休憩で寄った町
青いマンゴウが安かったので、2個買った。同乗の女性が青くても船室の窓側に置いておくと熟して食べれると話してくれたので。1個110円ほどです。
ここで青いマンゴウを買う
さらにそこから1時間弱で走るのですが、カラカスからの道沿いの村の中心部に多くの人々が列を作って並んでいる風景をあちこちで見かけた。後で知るのであるが、生活物資特に食料を入手するために並んでいたのである。インフレと主要食糧事情が悪いのである。石油が豊富に採れるので、簡単に金になる石油に頼った為、食料を始め国内調達を止めて輸入に頼る様になった。結果、石油の価格が下がると急速に景気が悪くなり、インフレや輸入物資が買えなくなったのである。
行列をつくって生活物資を待ってる
ドイツ村に着くとすぐにランチです。さすがドイツ村と言うだけあって、山の斜面に立つ建物はなんとなくドイツ風です。小さな村なので広場や教会を観て回り早々に帰船です。何も無いツアーですが、車窓から見る風景が良かったです。
ドイツ風の家々
レストラン
メインは豚肉とジャガイモ料理でした
私達のバス2台に寄り添うように1台の青いバスがいつも付いてきていました。帰り再びトイレ休憩した時、やはり傍に止まっていました。バスが古いので故障した時のバックアップのバスでした。つまり、このツアーは3台で動いていました。そしてやはり私の乗っているバスがブレーキの調子が悪いので、バックアップ用バスに乗り換えて帰船しました。
バックアップ用マイクロバス
帰船すると早々に夕食を食べ、シャワーを浴びて、夜に開催されるベネズエラ政府とバルガス州とピースボートが準備した『ベネズエラ×ピースボート友好フェスティバル2016』の会場に行くことにした。会場と船の間はシャトルバスが準備されていましが、渋滞と台数が少ないことで、結局埠頭でバスを1時間も待つことになった。多くの人が蒸し暑い中で待つことに疲れて、船室に戻っていった。同室のOさんも、せっかくシャワーを浴びたのに汗だくだと言って戻って行った。
昼間のツアーで疲れていてが・・辛抱強くバスを待つ
会場は現地の人も参加し、ピースボートの乗客と一体になって盛り上がっていた。
州庁舎の前の広場で開催
私はいくつかの演奏を聴いて、早めに船に戻って来て就寝です。
山肌に広がる夜の灯り
明日もツアーで、体力温存???
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