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敏洋’s 昭和の恋物語り
安土城跡に行ってきました。(二)
2016年03月22日
テーマ:テーマ無し
ではいつものように、お勉強ですよ。
仏教が伝来した際に、次のような騒ぎが起こったと『日本書紀』に書かれている。
欽明天皇が、仏教を信仰の可否について群臣に問うた時、物部尾輿と中臣鎌子ら(神道勢力)は仏教に反対した。
一方、蘇我稲目は、西の国々はみんな仏教を信じている。
日本もどうして信じないでおれようか(「西蕃諸國一皆禮之,豐秋日本豈獨背也」)として、仏教に帰依したいと言ったので、天皇は稲目に仏像と経論他を下げ与えた。
稲目は私邸を寺として仏像を拝んだ。その後、疫病が流行ると、尾輿らは、外国から来た神(仏)を拝んだので、国津神の怒りを買ったのだ(「昔日不須臣計 致斯病死 今不遠而復 必當有慶 宜早投棄 懃求後福」)として、寺を焼き仏像を難波の掘江に捨てた。
その後、仏教の可否を巡る争いは物部尾輿・蘇我稲目の子供達(物部守屋と蘇我馬子)の代にまで持ち越され、用明天皇の後継者を巡る争いで物部守屋が滅亡されるまで続いた。
この戦いでは厩戸皇子(後に聖徳太子と呼ばれる)が馬子側に参戦していた。
厩戸皇子は四天王に願をかけて戦に勝てるように祈り、その通りになった事から摂津国に四天王寺(大阪市天王寺区)を建立した。
馬子も諸天王・大神王たちに願をかけ、戦勝の暁には、諸天王・大神王のために寺塔を建てて三宝を広めることを誓った。
このため、馬子は法興寺(別名飛鳥寺、奈良に移ってからは元興寺)を建立した。
厩戸皇子は『法華経』・『維摩経』・『勝鬘経』の三つの経の解説書(『三経義疏』)を書き、『十七条憲法』の第二条に、「篤(あつく)く三宝を敬へ 三寶とは佛(ほとけ) 法(のり)僧(ほうし)なり」(「篤敬三寶 三寶者 佛 法 僧也」)と書くなど、仏教の導入に積極的な役割を果たした。
この後、仏教は国家鎮護の道具となり、天皇家自ら寺を建てるようになった。
天武天皇は大官大寺(後の大安寺)を建て、持統天皇は薬師寺を建てた。
このような動きは聖武天皇の時に頂点に達した。
中国や日本では仏教の発展に伴い律令法の中に僧尼の統制(仏教そのものの統制ではない)を定めた法令(僧尼令)が導入された。
だが、中国では、仏教の出家が「家」の秩序を破壊するなど、儒教論理に合わないとされ迫害されたのに対し、日本では「鎮護国家」の発想の下、「僧尼令」や僧綱・度牒制度が導入されて官僚組織の一員とまで化したのは興味深いことだと言える(僧正・僧都などは律令制で定められた僧官)。
――――――――――― Wikipedia より
この後のことは、「日本の仏教」と言う項目に記載されています。
興味のある方は、是非覗いてみてくださいな。
さあ、そこでです。
学芸員さんが興味のあるお話(説かな?)をしてくれました。
キリスト教・イスラム教というのは、一神教です。
なので、互いに受け入れられません。
唯一絶対なのですから、闘いになるのは当然の理なのです。
ですが、日本は、多神教です。
八百万(やおよろず)の神々です。
受け入れる素地があったわけです。
さらに、政治的利用をしたと考えられます。
権力者たちが、それぞれの思惑で利用したのです。
後に、仏が神に姿を変えて衆生の前に現われるとする「本地垂迹説」が唱えられました。
これにより神と仏の対立は回避されます。
所蔵されている固有の神社名を挙げられて、神と仏の二つの曼荼羅図が並べられていました。
そしてこの神さまはこの仏さまであり、こちらの神さまはこちらではこの仏さまですねとの説明を受けました。
もう少し詳しく知りたい方は、こちらのブログ「soul of Language」で検索してみてください。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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