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心 どまり
月の兎
2015年09月05日
テーマ:言霊・メッセージ
『月の兎』とは、良寛様が涙に濡れつつ書かれた、愚意(自分の意見考えを謙遜して言う語)の創作長歌です。
良寛様は常々、仏教説話・今昔物語(兎が、自分が何も出来なくて、自ずから火の中に飛び込み、その身を焼いて献じようとした話)に、深く感ずる所がお有りだったようです。
兎に対する敬意と共に、その都度言葉を変え、慎ましい思いで、丹念に幾つもの歌に変えて詠んでいらっしゃいます。
「石の上(かみ) 古(ふ)りにし美世に
有りと云う 猿(まし)と兎と狐とが
友を結びて 朝(あした)には
野山に遊び 夕(ゆうべ)には
林に帰り かくしつつ 年のへぬれば・・・ 」
上文が、『月の兎』の冒頭です。
「石の上」は「古りにし」の枕詞ですので、
「むかしむかしの、そのむかし
猿(ましら)と兎と狐がおったとさ。
この三頭の獣は、普通ならば争って
友には、なれそうもないけれど、
奇特な事に仲良しで、朝には連れ立って
野山に遊び、夕べには一緒に林の中の
塒(ねぐら)に帰りました。
こうして歳月をへたで・・・ 」
となります。今昔物語の終の結びは、
「されば、月の面に雲のようなものあるは、この兎の
火に焼けたる煙なり。また、月の中に兎の有ると云
うは、この兎の形なり。
万(よろず)の人、月を見る毎にこの兎の事を、思い
出すべし。」
(意)
「世の人々よ。月の中の兎とは、掛かる因縁による
ものなので、月を見る度に、この兎の事を思い起
したまえ。」
と言う、読む者の心に残るゆかしい教訓で、結んであります。
良寛様は、この物語を読んで共感し、感動して衣の袖が濡れるまで、涙を流したと結んでいます。
「月の宮にぞ 葬りける
今の世までも 語り継ぎ
月の兎といふことは
是が由にてありけると
聞く吾さえも 白栲(しろたえ)の
衣の袂(たもと)は とほりてぬれぬ 」
良寛様の御心には、この『兎』が住んでおりまして、原点は『いろは』と『ひふみ(一二三)』であり、生き方は、
『脆弱(ぜいじゃく)を恐れず、寂寥(せきりょう)を忘れず』
と言う所に有ります。
『脆弱』とは、もろくて弱いこと、『寂寥』とは、心が満たされず淋しいさまと言う意味です。
良寛様は、こう問うています。
「 なぜ、弱っちくてはいけないのか?
なぜ、寂しくちゃいけないのか?
弱いのは当たり前、寂しいのはもっと当たり前
それで、いいじゃないか?」
と! そして良寛様は、どんな時でも一番『せつないこと』だけを表現し、語り合おうとしています。
『せつない』とは古語では、人や物を大切に思うという事なのです。その為に物事が、悲しくも、寂しくも、恋しくも、時にはやるせなくもなるのです。
ブログに、『蓮の露』を記すにあたり、良寛様関連書物を読み直し、改めて人となりを再認識しまして、増々傾倒していた私です。
文人墨客・作家や詩人・歌人等、良寛様をお慕いされている方は、大勢いらっしゃいます。
例えば、夏目漱石・松岡子規・会津八一・坪内逍遥・堀口大学等々、名をあげたら切が有りません。
ある時、五木寛之さんは、こうおっしゃっていたそうです。
「良寛に出逢わなくて、どうして無事に晩年を過ごせる、日本の知識人がいますかねえ〜!」 と!
また、北大路魯山人においては崇拝に近く、書を真似て、良寛様の風姿花伝を香らせていたとも!
『風姿花伝』とは、観阿弥が到達した極致の伝えを、世阿弥が記した、能の理論書です。『花伝書』とも言われ、その中の
「 秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり 」
この文言だけが、世の中(人々)に広まり、有名になりましたが、意味する所は奥深く、難いものがあります。
「 この分目(わけめ)を知る事、肝要の花なり 」
と続き、この『分目』を、重視したのです。
つまり、『秘する花の分目』と言う事が、根本になっているのです。
唐木順三が、良寛様を「最も日本人らしい日本人」と、おっしゃった後、川端康成は、「良寛は、日本の真髄を伝えた。」に至り、「日本人の心のふるさと」とも!
現在、良寛様の生家跡地には、良寛堂が建ち、念持仏『枕地蔵』が収められ、敷地内に建つ石塔には、自筆の句が刻まれています。
い
む か に
さ か は し
ど ひ ら へ
の に あ ぬ に
し み り も
ま ゆ そ の
な る み は
り と
(意)昔と少しも変わらないもの、それは故郷の岩の多い海辺
と、沖に見える佐渡の島影であることよ
因みに佐渡は、良寛様の母の故郷です。
良寛様は、佐渡の島影に、母の姿を重ねて見ていたのでしょうね!
お立ち寄りありがとうございました。
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