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心 どまり

蓮(はちす)の露 (出逢い編) 

2015年09月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:言霊・メッセージ

 江戸末期、巷では良寛様の評判で賑わっておりました。
長岡福嶋村(現在の長岡市福嶋町)の閻魔堂(えんまどう)の庵主、貞心尼の耳にも良寛様の噂は届いて来ていたのです。

    「おもしろそうなお方!」

 最初は、その程度の印象だったのでしょうね!
17歳で、医師に嫁いだものの離別。23歳で剃髪した貞心尼は少なからず傷ついて居た筈です。
 
 離別の原因は、相性が悪かったからとか、子供が出来なかったからとか、色々言われておりますが、理由は定かではありません。
以後の貞心尼の言動から推察しますと、主(夫)に尊敬の念を抱く事が、出来なかったのではないかと思えて仕方ありません。
あくまでも私の臆測ですが・・・。

 貞心尼の心の隙間を埋めたのは、人づてに聞く良寛様の歌やお言葉・行いや人となり(人柄)だったようです。

 次第に、傷ついた心が癒された貞心尼に芽生えたのは、良寛様に対する敬慕の念だったのでしょう!

    「一度 お逢いしてみたいわ!」

 文政九年(1826年) 貞心尼(29歳)は、良寛様を訪ねる決心をしたのです。

 良寛様(69歳)の庵(越後の美島町嶋崎村)まで、長岡福嶋村から15〜20q、一日がかりの道のり。
途中の信濃川を渡しで渡り、難所の塩入峠を越え、歩いて行かれたようです。

 良寛様に思いを馳せる貞心尼にとっては、足取りも軽く、遠い道のりも苦にはならなかった事でしょうね!

「良寛様にお逢いしたら、何を話そうかしら
 色々お話ししたいし、お聞きしたい事も沢山!」

そんな感じだったでしょうね!貞心尼の心中は・・・。
                   ソウゾウデス!

 良寛様の庵にやっと辿り着いたものの、良寛様はお留守!
さぞかし、がっかりなさった事でしょう!
そこで貞心尼は、良寛様は常に懐に手毬を入れていて
”子供達と手毬を付いて遊ぶのがお好き”
と言う噂を聞いておられたので、お土産に持参した手作りの手毬に、歌を添え残して帰って来たのです。
 帰り道は、さぞかし遠く感じた事でしょう!
                    カワイソウニ!

    『 これぞ此の 仏の道に 遊びつゝ
          つくやつきせぬ みのりなるらむ 』

    (意)手毬でただ遊んでいるような振りをなさって居ら
      れますが、それこそ仏道の修行として無心に毬を
      ついておられるのでしょう。
      いくらついてもつき終る事が無く、これが仏の
      教えと言うものなのでしょうか?

 
 早速、貞心尼のもとに良寛様からお返しの歌が届きました。


    『 つきてみよ ひふみよいむなや ここのとお
          とおとおさめて またはじまるを 』

     (意)貴方も、ご自分で毬をついてごらんなさい。
       一二三四五六七八九十 十で上がりになった
       ら、また始まるではないですか。

 
 待ち焦がれていた返歌を受け取った貞心尼は、どんなに嬉しく安心した事でしょう!
すぐに、良寛様のもとに参っています。
まさに、”素っ飛んで行く!”と言った感じですね!

 良寛様に、お逢い出来た嬉しさを、貞心尼はこの様な歌に詠んでいます。

 
 
    『 君にかく あい見ることの うれしさも
       まだ さめやらぬ 夢かとぞ思う 』

    (意)良寛様にお会い出来た事の嬉しさも、まだ
      覚めていない夢の中のことではないでしょうか!

 
 まあ〜!何と率直な!喜びがほとばしり出ています。
良寛様も嬉しかったのでしょうが、あまりのストレートさに、様々な苦行を経験されて来た筈の良寛様でさえ、ちょっと照れと戸惑いが見受けられます。
貞心尼の『君にかく』のあまりに直裁な表現に、良寛様は大変真面目な歌をお返ししているのですが、『それがまにまに』と結句をぼかしてしまいました。
最後を纏める事が、難しくなってしまったのでしょうか?
意味を成していませんね!ちょっと焦っていらしたのかしら!


    『 ゆめの世に かつまどろみて 夢をまた
         かたるも夢も それがまにまに 』

     (意)仏様に生かされているこの夢の様な世で、
       またまどろみながら夢の話を語るも良いし、
       夢の中に居続けるのも良いでしょう!

   
 歌の世界では、特に男性に宛てた女性の歌の場合、ストレートな表現は避けて、色々な意味合いに取れるような表現方法が基本に成っていますが、『君にかく』の歌は、貞心尼の心が真っすぐ良寛様に向けられ、男勝りで気の強い貞心尼らしい歌のように思われます。

 貞心尼の書(筆跡)からも、彼女の芯の強さが見て取れます。
同じ女性で有りながら、紫式部などの優しい線(筆使い)とは一線を画し、男性的な力強ささえ感じられます。

 加藤喜一氏は、その著書「良寛と貞心」の中で、貞心尼の書について次のように記しています。

『一度つけた墨が、次第にかすれて行くさまは、何とも
 言えません。貞心尼の線を目で追って行く時、そこに
 はっきりと、貞心尼の息づきや心臓の鼓動を感じる事
 が出来、思わずドキリとさせられます。』


 良寛様70歳、貞心尼30歳の時の事です。
此処からお二人は、歌を通して急速に心の通い合いが深まって行きます。
続きは『迷い・悟り編』にて!
お立ち寄りありがとうございます。



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