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尺八と横笛吹きの独り言

演奏会下合わせが終了……そして浦島太郎になったの巻 

2015年04月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●今日は最高の天気、洗濯日和……朝から日曜の早出出勤だ。
おりしも県議会選挙でした。自宅近くの投票所で投票してバイクで勤務先に直行。
昨日は下合わせで少々お疲れ……下合わせの帰り43年も前に住んでいたところによったら、
あまりの変貌ぶりに、そこはそこは……浦島太郎の世界でした……とさ。 

下合わせの始めは荻窪の坂本玉宏会。(以前「筝曲 ながれ?」の下合わせで数度来ています)
●「花笠スケルツオ」下合わせ
写真のように江戸先生の稽古場は筝で満杯状態。
「よろしくお願いいたしまーす」
尺八20名・筝21名・絃(十七絃のこと?)6名
まずは一回合わせ、次に細部にわたりアドバイスやら先生の要望などをお聞きして再度演奏。
「ここはクレッシェンド」「ここは平らに」「最後のフィニッシュの確認」
「日比谷公会堂ではここと違い音はこんなに聞こえません」
最終下合わせ演奏は11分24秒でした。fueの出来は50点はいけてるかな?
下合わせ5回の内、出席は2回しかできませんでしたが……なんとかいけそう。
旅行や夜の公民館勤務で欠席が多く、自己練習が主な練習でした。
ユーチューブの演奏では10分と早い。およそ1分30秒と遅い……これだけの筝と尺八が演奏するのですからこのくらいの速度になるであろう。
「ピ ツ大甲 四 ハレ」の部分は「平たんに」の要望でしたが……ここは平たんにはは吹けない。
私などは四の大カリで吹くので急激な高さになるのでこれはしょうがないかな?
平たんに演奏するにはツの大甲は吹かない方がいいかなあ。
●坂本玉宏会
古典から現代まで
玉宏会は、故坂本勉とその門下生によって昭和29年に栃木県宇都宮市で組織され、その後、東京・東海地区・沖縄など全国的組織へと発展。
「邦楽を、愛好者だけでなく誰でもが親しめ、また自分もやってみたいと思えるような音楽にすることをめざす」
現在、会の名称を「坂本玉宏会」と改め、平成22年4月、二代目家元に就任した江戸信吾のもと門下生が師の意志を継いで、若い世代に美しいメロディを伝えようと精力的な活動を行っています。
http://edoshingo.web.fc2.com/gyokkoukai.html

●箏曲家 江戸信吾先生プロフィール
1966年、東京都出身。
東海大学大学院芸術学研究科修了。
箏を伯父坂本勉、菊地悌子氏、吉崎克彦氏に、作曲を牧野由多可氏に師事。
第4回箏創作フェアにおいて“さすらいの主題による三重奏曲”がTBS賞受賞。
第5回箏創作フェアにおいて“春の田園詩”が朝日新聞社賞受賞。
大日本家庭音楽会より自作品楽譜とCD「江戸信吾作品集Vol.1〜5」発売中。
坂本玉宏会二代目家元。「和琴の会」主宰。

●「それでは当日(4/19(日)日比谷公会堂)、よろしくお願いします」
追伸)出演会費2万円ともここの下合わせ会場でお別れした。(また稼がないと……)
            
 
●次の下合わせ会場は東中野の氷川神社だ。
下合わせローテーション
本日の参加は6割から7割の参加率。
本曲「春の光」14:30〜15:10 尺八全員171名 指揮 川村泰山(当日は4代 中尾都山)
尺八曲「竹吹く」15:15〜15:55 尺八83名 指揮 山口連山
本曲「朝の海」16:00〜16:40 尺八86名 指揮 廣田錵山

尺八曲「竹吹く」の最初の4小節がむずかしい。まだ練習を要する。
この曲は「譜をめくる」箇所がないので。それぞれが各自バラバラになるが「めくる個所」を考えることとなる。
この三曲……長時間なのでなかなか腰が痛くなる。(椅子席)

 
●帰りは東中野から大江戸線で練馬駅。
ここに降りたら行かなくちゃ……飲み屋さんの加賀屋
ホッピー、煮込み、ユズ大根、スタミナ焼き2本……やっぱりここはうまいなあ……
相変わらず、お客は多い。現役の時はよくここに飲みに来たっけ。


●ほろよい気分……で昔住んでいた場所に直行……
「確かここらへんのはずだが……」
「駐車場になっちゃったよ……」「写真右のアパートにその名残がある」
「大家さんの家もない」「昭和46年9月〜49年9月の3年間、一人で住んでいた。43年ぶりにもと来た場所に来てみれば……浦島太郎になった気分だ。」

●昔の昔の……時効のお話
悪童連がタバコで謹慎指導になり、独身のこの場所にあったアパートに時々来ていた。
「最後は鍵をかけて出るんだぞ」「じゃ俺は勤務してくるからな……」
「お前らを信用してるからな……」
いろいろ生徒からの相談を受けていた。年齢が近かったからだろう。
時々、私の部屋の窓が開いてもうもうと、なぜか煙っていたり、本棚にあったウィスキーが減っていた……(もう時効だ)
あいつらはもう定年して初老のはずだ。私が25歳の時に留年していて20才の生徒もいた。
初めての学校で、革ジャンでの登校やシンナーの吸引が流行っていた荒れていた時代でした。
ここでの担任では体重が5糎困辰董五円ハゲの脱毛症、自律神経失調症にもなりました。
こうして会社を脱出したfueドンはここで鍛えられました。
(もっと時効の話は……ありますが、このくらいにしておこう)

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